<仁王像ムキムキ問題>
蛋白源など、栄養状態が現代よりも相当よくなかったはずの時代に、昔の仏師たちはいったいどんな肉体を見本にしてあのムキムキを造形したのか。特定の個人をモデルにしていないとしても、実物の人体を見ないで空想だけであの造形は不可能だろう。
もともと体格に優れたすもうとりやサムライの一部に優先的に栄養豊富な食事が与えられてああいう人が実際いたのか。
それとも大陸から栄養状態のいい外人モデルを導入したのか。
あるいは鍛えさえすれば現代人が必要と思うような栄養を摂取することなくムキムキする(タイプの人もいる)のか。
または一人の細マッチョをベースに複数人のムキムキパーツを組み合わせたり、デフォルメで補ったりしたのか。
先日杉山愛さんが明治の人は肉体労働の結果驚くべきいいガタイだったとテレビで紹介していた。
当時の食事は玄米とみそ汁に少しの副菜というのが一般的で、蛋白源は大豆や大豆製品中心だそうで、現代の基準からは十分と思えなかった。
つまり蛋白質の摂取量はそれほどなくても鍛えたら案外いけるということなのだろうか。その辺は明言してなかったし、明治のマッチョは細マッチョだったし、仁王像ムキムキ問題はいまひとつ解決した気がしなかった。
素朴な疑問(長文編)のことを語る