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今日読んだ本のことを語る

『垂直の記憶 岩と雪の7章』山野井泰史、ヤマケイ文庫

なんというか、山野井泰史・妙子夫妻は、一般人とは人種が猿人と原人レベルで違うな、と読んでいると圧倒される。

「僕は初めてのヒマラヤ登山で、八◯◯◯メートルの頂に立てた幸せな人間になったのだ。この場所が僕には天国のように感じてしまった。
『ポーズをとるから記念写真を撮ってくれ』
『暖かいね、寝ていきたい』
『そんなに疲れなかったね』
三人ともまるで日本の山にでもいるように、勝手なことを言いながら、この時間を楽しんでいた。
(略)
僕達三人は頂から少し下り、風の当たらない場所に行き、少し横になった。あまりの睡魔で寝てしまったのか、一時間近くこの場所にいたようだ。
『下りよう』
『早くしないと暗くなる』
だらだらと下山を開始。長い間、死の地帯にいたことを忘れていたかのようだった。」

「今でも残っているよい思い出は、足の骨折で入院中の病院を抜け出し、山梨県の岩殿山に登ったときのことだ。僕はギプスをつけたまま、妙子は凍傷で切った指の痛みに耐えながらの登山であったが、春の山はとても暖かで幸せであった。」

「登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは僕に許された最高の贅沢かもしれない。僕だって長く生きていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりしたい。こうして平凡に生きていても幸せを感じられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。」

著者がこれを書いたのは、2002年にチベットの7952メートル峰ギュチャン・カンを登って、遭難すれすれになりながらも生きて帰った代償のように、手と足合わせて10本の指を凍傷で失っての治療と養生の日々においてである。

そしてその2年後、2004年9月、中国は四川省のポタラ北壁(5428メートル)に挑んで敗退。同10月にギュチャン・カンに置いてきた登山用具の回収へ、翌2005年1月に谷川岳一ノ倉沢、八ヶ岳などの氷壁を登攀、2月は北海道の層雲峡の氷瀑を、同5月には穂高岳の屏風岩を、同7月にはポタラ北壁単独登攀。

2006年もアメリカやネパールでクライミング、そして2007年にはグリーンランドの岩壁・オルカ(1200メートル)を、ギュチャン・カンでの凍傷で手と足合わせて18本の指を失った妻と世界初登攀。その後も国内外の岩や壁、山を登り続けている。

読んでいると、自分は手足の指20本、欠けることなく揃っているのに、なにをだらだら生きてるんだろう、と思えてくる。そして、世の中にはどえらい人がいるもんだと思う。