ああそうか、わたしが「所属されること」に反発するのは、生後すぐにわたしの「所属」先を決められてしまったためなのかもしれない。親がよかれと思ってしたことだったのは疑わないが、形式的にでもよいから、わたしに選ばせてほしかった。そしたらこども達の中である種の思い出を共有できず浮いてしまっても、「わたしが選んだ結果」と納得できたかもしれないのに。
「所属されること」はラク、でも押しつけられたくはない。
他の人ならばあったであろう選択肢が、わたしにはなかった。「所属先」の影響はわたしの中に深く根づいて、脱け出したいのか居続けたいのかももうわからない。
今もどっちつかず。所属先がない、どこにもない。
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