【思い出すことだけ】
ショワジールは一部分だけ人からもらって、うちの中のどっかに転がってるけども、今探し出せん(気力がないごめん)。とりあえず、『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』の執筆者対談の、栗原知代の発言を引用()pp.365ー366。
>
あるゲイの男性が「やおいなんか死んでしまえ」って書いて、それに女性の側が「えっ、そんなこといわないでください」って答える、やおい論争っていうのがショワジールというミニコミであったんだけど、それがすごくおもしろかった。
<
あと、もうタイトルとかぜんぜん覚えてないのだけど、確かアカーが出した本の中に、電話相談とかでよくあるQ&Aっていうので印象的というかショックな質問あった。「自分は同性愛者じゃないかと思うのだけれど、少女マンガ等に出てくるみたいな美少年じゃないから資格はないんだろうか、みっともないんだろうか」っていうの。これ読んだ当時はまだルビー文庫が出るか出ないかだったと思うんで、言われてる少女マンガっていうのはふつうに出版ルートに乗ってるもののことだと思う。秋里和国がB.B.B.について名指しで言われたとか、いろいろ実際にゲイ側からの指弾ってのはあったはずなんだけども。同人界にほとんど関わりのないわたしで
も漏れ聞いてるくらいには。ずいぶん前に書いたけど。
で、病理扱いされて観察対象になってること・観察してるフェミ系のカウンセラーのこと、わたしがそれにかなりいらだって敏感になってたことがあることも前に書いたような。15年前くらいかな、そのカウンセラー(例の、蔦森氏に対談途中で席をたたれた人です。)が自分のとこの機関誌にレポート的なものをあげてたの人から借りて読んでる。
だから、狭いわたしの観測範囲でも見聞きしてることが確かにあったはずなんだけど、そういうのが結局どこにも残ってない、蓄積されてない。で、その蓄積とか記録をすることだって研究になってくはずだし、それにも観察が必要になってくるんだけど、そのための観察もするなって言われるんかなあというのがこのごろ疑問ではある。
記録や蓄積してなければ「何度目だナウシカ」は避けるべくもない。してたって「何度目だナウシカ」って言いたくなることが多々あるのが常だもの。
自分(id:dadako)のことを語る