ああそうそう、わたしも自分自身に呼びかけるときとか同居人と話するときは、同居人とわたしの間でしか通じない呼称を一人称に使うことよくあるな。どうしてだろうと考えて、自分を外から見ようとする視点がそういう時にあらわれるんかなとか思って、そこで考えが止まってた。
そういや同居人も一人称=呼称のことある。うちや家族の中でだけ、特になんか不安げで確認を求めるようなとき。
わたしはわたしの一人称は基本わたしで、使い始めたのが小学校入学か保育園入園の時だったと記憶している。「もう一緒におふろ入ったらいかんのお」の会話と似たパターンで、やはり父に、「もうdadako(仮)も自分のことわたし言わんかったらいかんのう、もうおねえさんじゃけん」と夕飯食べてて言われたのだった。なんで覚えてるかというと、それまで自分が一人称に自分の名を使ってるということにすら気づいてなかったから、そう言われて驚いて、気づいてなかったことを恥ずかしく感じたから。
そういうのって他の人も覚えてるんだろうか。
セサミストリートでエルモがけっこう好きなのは、たぶんなんか懐かしくなるからだな。
自分(id:dadako)のことを語る