「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」で有名な、三日月に祈る山中鹿介の像。
戦前は忠義の人として修身の教科書にも取り上げられましたが、今は主家再興というよりも執念のゲリラ戦と評されることが多いようで。
その武将としての評価の変遷は、楠木正成に似ている気がします。
鹿介と一騎討ちをした品川大膳の墓の近くで、ミニ鹿介を発見。
洞光寺にある、尼子清定・経久父子の墓。
堀尾氏の松江移城の際、本寺は伽藍とともに松江に移されましたが、その後度々の水害で荒れていたのを、寛永年間に今の場所、月山の向かいの高台へと移されたそうです。