お茶会の文章読んでて、あの追悼文の人かしら、と思ったら、ほんとにそうだった。あの追悼文は、あの頃読んでて、深く深くうなずいてた。
今読み返すと、それからお茶会のを読むと、ああ、確かに森娘の系譜なのだなあと。
ぼろにまつわる思い出に大事にくるまって、ままごとの世界でおひいさまとして大事にコルクの部屋に囲われて、ひとりごとをつぶやいてたんだなあ、と。他人の存在しない部屋で。おさがりの人形に新しい名前をつけて、ずずぐろくなった着物や手足は無視してさらぴんみたいに扱って。
最初からそうだったし、最後までそうだったんだろうと思う。
わたしはほんとは一年間で殺してたんだろうなあ。ただ、その確認すらしてなかっただけで。だって病気のことすら、うっすらとしか知らなかった。闘病記を手にすることすらしなかった。
だから死んで動転した。リアルで読み続けてた同居人は淡々としてた、今考えてみれば。わかってたから。
冗談でなく、わたしの手元にある彼女の本は、最初に読んで一番好きだった『猫目石』他数冊だけで、しかも梓名義の方が多いくらいかも。あの頃わたしが読むことができる範囲のものをあらかた読んで、グインは最後に読み始めて、途中何巻かで止まって、同居人が持っていたからまた読み始めて、結局『赤い街道の盗賊』あたりで止まったままだった。
わたしはうまく殺し損なったのだなと思う。
リアルに死んだことにもへたすると気づかなかったかもしれないくらいに、自分の中ではいつのまにか殺してたのに。
いつも遅れて到着する。いつもそうだ。今度もだ。
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