台湾。
日本円しか持たずに一人で出航。携帯電話のない時代、待ち合わせしていた台湾人の友人は一時間遅れで到着。なぜか怒られた。そして送迎してくれた友人の友人は高速道路の運転は初めてだ、と真顔で言った。スリリングだった。
最終日の前日、日本語を話せるという知らない夫婦の家に連れていかれた。留守だったが鍵はかかっていなかった。友人は突然「ここでお別れ。今晩はここに泊まって、明日はこの家の夫婦が空港に送ってくれる」と言って、留守中に置いていかれた。帰宅した夫妻はとても親切だったが、まったく日本語が話せなかった。スリリングな一週間だった。
高校1年の時にとつぜん父と二人で2週間弱、UKとフランス。
ロンドン→コーンウォールの小さな町→エディンバラ→ (ドーバー海峡) →パリ。16歳の誕生日はパリで☆
往復だけツアーを利用してあとは個人手配という、昭和にしてはそこそこ斬新な形態で父とわたしそれぞれの好奇心を好きなだけ反映した旅だった。
今思えば一介のサラリーマンのくせにちょっと家族と旅行するためだけにいきなり2週間休暇をとった父はなにげにチャレンジャーだった。
ラスベガス&ロスへ…2000年に友達と行きました^^
ラスベガスではMGMに泊まり…ホテルが広くって歩くのも
大変だった思い出(;´∀`)
ロスではユニバーサルスタジオへ行ってアウトレットのツアーに
行ったな~。
とにかく食事がおざなり?!合わなくって(笑)
痩せて帰って来たという。。。
ロスのホテルの中にあった日本食屋さんのかき揚げ丼が
一番美味しかったという思い出あり☆
パスポートは5年で取得した…名字が変わることを想定して。。。
残念ながら未だパスポートは切れたまま放置されてます(笑)
もう海外行くことないかなぁ~…と思う(;´∀`)
22~3歳の時に女友達2人と香港へ。
意外と「異国感」があって面白かった。
ツアーでいろんなところを回ったけどそれぞれ「15分後ニ集合デース!」と言われ、
大急ぎで写真撮ってたらあっという間だったなー。
(現地で友人たちが買った使い捨てカメラが殆どまともに現像できなかった、というおまけつき)
ハワイ。
私が英語にはまるきっかけになった個人塾の先生がハワイ好きで
塾の研修旅行兼卒業旅行で1週間くらい滞在。
勉強のためでもあったから現地であちこち人に話しかけたりしたし
何より男女何人かずつプラス先生やったから
夜にみんなでビーチで遊んだりして楽しかったです。
シャーベットカラーがメインの景色は常夏っぽくてきれいでした。
以前、別のキーワードで香港だと答えたことがあったのですが、
その理由が、まずは日本と文化が似ていて英語の通用度が高そうな場所に行ってみようというもの。
と言うわけで行ってみると、文化というよりも外見が似ている?ので、
英語ではなく広東語や北京語で何度も話しかけられました。ヽ(・ω・)/ずこー
ちなみに、日本と文化が異なっていても英語の通用度が低くても、良かった場所は沢山ありますし、
今は行き先を選ぶ時には、日本との文化の違いや英語の通用度は気にしないようにしてます。
韓国(のりつぎ)、スイス(ちょっぴり)を経て、目的地は西 ド イ ツ...!にしどいつ…!年々味わい深くなるこの響きよ。
ギリシャとフランス(パリのみ) 働きはじめて2~3年目の夏休み
なにもかもがわからなすぎて空港からなかなか脱出できず 離島へ行くとアテネに戻れずフランス行きの飛行機に乗り遅れ フランスでは宿エリアがみつけられず夜中まで彷徨い 帰りの空港も間違えて離陸の数分前に目的の空港に到着し関係者通路みたいなところを走った ほかにもいろいろあった気はする
屋外映画館はたのしかったな 夜の空気が気持ちよかった あれは夢だったのか? 記憶もだいぶ薄れている
グアム
職場の友人と金曜の夜に出発して
月曜の朝に帰ってくるという弾丸旅行だった。
全員同じ部署だったので一斉に休みをとるわけにもいかずにそんなことに。
若かったなぁ。
バブル時代にありがちな社員旅行で行った台湾。
台北から花蓮まで一人で冒険して
すごい崖道を通るバスに揺られて泣きそうになるも
奇岩スポットで地元のみなさまときゃーきゃーはしゃぐ、
屋台のアサヒガニ食べて、ホテルのフロントマンから
「(鮮度が)アヤシイ店もあるんですからね!」と叱られる、
タクシーの運転手さんからミニ中国語講座と
台北のおいしい店のミニガイドを受ける、
公園の売店で「峰」(タバコ)を売ってるのを見て感動して
お集まりのご老人たちから
「どう、なつかしーでしょう」と同意されるなど、
台湾のみなさまにとてもやさしくおもてなしされて
たいへん楽しゅうございました。
もう言っちゃったけどロシア(モスクワとサンクトペテルブルク)に観光と語学研修。
ちなみに人生初飛行機でもありました。
おかげで色々(笑)耐性がついてその後どこへ行ってもびびりません。
友達とハワイ。
安いツアーで韓国経由だったので、夜の金浦空港を見ながら二人で
「もうここに来る事はないだろうね」としみじみネオンを見ていたが
いかんせん帰りも韓国経由だったためすぐに舞い戻って来た。
オーストラリアのパースでホームステイした。
毎日朝から波が高い(家族全員サーフィンする)海に連れていかれて、毎回溺れかけて、最終的に黒焦げになって帰ってきました。
英語は身に付きませんでした。
オーストラリア(ブリスベン周辺)…と見せかけて、そこに行く為に乗り継ぎをした韓国。
今からちょうど19年前の中1の時。某英会話スクールの子供だけで行く1週間の短期留学に参加しました。
北海道から行ったのに、何故か半分はファームステイをしました…。牛の乳なんて海越えなくても搾れるのに…。
オーストラリアも色々刺激的でとても楽しかったのですが、一番刺激的だったのは韓国人のおばさんがドアを開けっ放しでトイレを使っていたことです…。