多神教的世界観と言うのは、神を絶対者とする立場からは無神論とも言えると思う。
そこにある「神」と言われるものたちは、神を絶対者とする立場からは精霊の類いと言ってよく、それら自体が罪を犯しえるのならばそれへの捌きを行うものはただ「世界」があるだけと言える。
おそらく原始的共同体ではその「世界」を表象するものは森だったのではないか。
その有機的関連性を肌で感じる人々ならば、もしかして多神教的精神をすばらしいものにできたのではないかと思え、たしかにそこには自然崇拝などに抱きがちな牧歌的な敬虔さはありえるのだけれど、記号化を押し進める都市のなかで生まれたものが日本的ファシズムではないかと最近思う。
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和魂洋才のことを語る