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物語のことを語る

自分の物語を自分で編む力ってのがものすごーく重要だって話には共感するのだが、一方で自分で編んだ物語をいつでも相対化できるしなやかさも育む必要ってあるよねって思う。
どこかでその虚構性に気付きながら、同時に虚構の豊穣さに耽溺できる二重性を生きることが出来る力って重要だと思うのよ。
それがないとむしろ物語依存的になってしまって、「私の物語」で無碍に周囲の人々を巻き込んでしまうことだってあるんじゃないかなとか、そういう物語の押し付け、幻想ハラスメントとでも言うべきものの被害者が"癒し"としてに「虚無的」に振る舞ってみせてることってあると思うのよね。

そーいやこういう幻想と虚構の二重性みたいなものへの意識って、野坂昭如とかに感じるし、あるいは奥浩哉あたりは虚無的に振る舞ってみせる限界から回帰してくる感じがあると思ってる。