子どもが目の前で、泣いたりさわいだり
無邪気だったりワガママだったりすることに
漠然とイライラムカムカを抱えるのは こう
「私の子どもの頃はそんなことさせてもらえなかったのに!!」という
思い出したくない思い出の引き出しを開けられるからで
それらを 理性でなくヒステリックに禁じたくなるのは
親じしんの 親に対する封印してきた感情なんじゃないかな...
子どもをもってしまった人は、そのような形で親に刃向かうけど
私は結婚しないし子孫は残さない、と宣言する
若い方の気持ちもそういう 親に対する緩やかな復讐心なのかなって...
まあ、どっちも私がしてきたorしていることなんですけど
要はおとなになれなかった大きい子どもなんです
子どもの大切なものを踏みにじる親もまた
子どもの頃 親に大切なものを踏みにじられてきた経験を持ってるのだ
と想います よ(有形・無形問わず)
親子のことって 理想を言えばきりがないし
昔のことを掘り起こせば起こすほど、その手は傷だらけになって誰も愉快にならないね
でも昨日も思ったけど、独り身の頃のように すべてを親のせい、トラウマのせいにしなくなったから
一歩進めたから、ダメ親でも私は親になれて、良かったよ
楽しいことも許せないことも、あの関係が今を作る礎になっているんだ ぐるぐる
ぐるぐるしたまま、おやすみなさい
「その育児は失敗だ」と言われても 続いていくのが親子だから 向いてなくても親だから
傷つけたことは取り返せないけど、代わってくれる人はいない
間違いながらここでふんばるしかないんだ
「王様の仕立て屋」っていう漫画を実写ドラマ化してほしいけど
舞台がナポリで主人公以外全員日本人じゃないから、ドラマの予算では無理だなあとか思った
鬱イートを ハイクのidページに移して消したった!
「被害者意識」みたいなものから抜け出して
自分の選んだことに責任持って 歩いてくのは本当に難しい
その、「戦う相手を失くした」姿が はたから見ると「丸くなった、落ち着いた」というふうに見えるのかな
私そんな糾弾できるほど、立派に親してないじゃん...
むしろ同じこと子どもにしてるじゃん...って
振り上げた拳も持って行き所をなくした
敵は自分自身だし今つらいのは誰かのせいじゃない とっくにそんな歳じゃない
自分もいろいろ 思うことはあったのでアレなんだけど
もしずっと独り身だったら 親も含めた回りの環境はすべて
「勝手に押し付けられたもの」だったから 「おまえらは敵だ!戦う!そして殺す!」
という姿勢で生きれたかもしれないけど
「誰かにとっての生まれたときからある環境」の側、育てる側、の心情もわかるようになったら
スゴイ板ばさみ感で 何者かを責めたり 強い言葉で責める勢いがなくなった
いまかかえてる いろんなことについて、20、30、いや40代でも
「私はこういう人間です!これ以上価値観が変化することはありません!」なんて、決まるこっちゃないんだ
いろんなことが 死ぬ間際に「そうか、あれはそういうことだったのか。あれでよかったんだ」と
思って死ぬくらいで 間に合ったことにすればいい
だからなんでD国に行ったのに そんなことばっかり考えてるの
自立 ってなんなんだろうな (私は自立していません)
親子関係は (直接、愚痴問わず)ケンカしたり罵倒したりしてるうちが華...とは言わないけど
そうしてもめてる時までは まだ相手に親として・子として、何かしら求めて期待している状態で、
もうあなたに愛情を求めることは諦めました、何も求めません連絡もしないでくださいしません、
死んだものとして扱います、ということにして 離れて解放される人も たくさんいるのだろうな
[計画]
春から、スマホでとうらぶできるようになる→の前に機種変
ついでにソフトバンク光にして、おうち割適用で
家と夫婦の携帯それぞれ通信費を削減、したい なー、と