もし 養わなければならない子どもがいなかったら
ずっと布団にもぐったまま一日を過ごしていたでしょう
今、生かさねばならぬ、食わせなければならぬ存在が
こんなワタシに かろうじて人間らしい生活をさせてくれていて
手を引いて ちゃんと光の当たるほうへ導いてくれている と思います
そしてもちろん サイトにおける 拍手1回とか ハイクにおける ☆1つとか
そんな ささやかな 「見てるよ」反応に救われ生かされています
ありがとう おやすみなさい
/ドアのブ
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もし 養わなければならない子どもがいなかったら
ずっと布団にもぐったまま一日を過ごしていたでしょう
今、生かさねばならぬ、食わせなければならぬ存在が
こんなワタシに かろうじて人間らしい生活をさせてくれていて
手を引いて ちゃんと光の当たるほうへ導いてくれている と思います
そしてもちろん サイトにおける 拍手1回とか ハイクにおける ☆1つとか
そんな ささやかな 「見てるよ」反応に救われ生かされています
ありがとう おやすみなさい
スタバの カフェモカ とは クリームがのったココアのことである
上のクリーム部分を 娘がウマウマ!と全部なめてしまったら ただのココアである
つらい
義理の兄から 子どもの名前が決まったよメールが来ました
ダンナさん一族は将来子どもに名前の由来を聞かれても
ココからとったんだよ、って聖書めくって出典を示せるのねー
もちろんダンナさんもそうなんですが
相棒 も観てたけど
ダンナさんが息子に読んでた「銀河鉄道の夜」(藤城清治の影絵による絵本版を、ワタシが買った)に聴き入ってた
何度読んでもギュウウとなる話
銀河の旅パートが美しいのはもちろんなんだけど
序盤の ジョバンニ-ザネリグループ-カムパネルラ の間に交わされる会話や視線のやりとりに表れた
こどもの社会の残酷さというか微妙な軋みが うわぁぁ(悶)ってなりそうな リアリティあるなー って思う
レスありがとごじます!!
ふと思い出したんですが、5,6年ほど前、新しく職場に入ってきた人に対して毎日イライラしていたことがあって・・・
何か落ち度があったわけじゃなく、ただちょっとした雑談レベルで相容れないところがいくつかあっただけで
今振り返れば、なぜ業務にまったく関係のないところでそんなに悶々としていたのかしらーと ちょっと当時の自分をほほえましく思っちゃったりしました
若かったんだよぉー・・・まだ結婚して間もなかったし・・・
まあなんだかんだ言っても ワタシはたぶん年の割りに
知ってて当然のことを知らないほうですし!
マニアックなことばかり詳しいし!
職場でも上司に「変わった人」 認定された上で働いてるくらいですし!
言い訳にしかすぎないんですけども! わははー・・・
このくらい常識だろ、こうあるべき! が通らなくて イライラするときって
実は 相手のことを思いやってるからじゃなくて
自分が安心したいからなんじゃないかな
無意識のうちに 相手が自分の思うとおりに動けばいいのに っていう期待とか、支配欲があるんじゃないかな って振り返る
「常識」なんて ひとの数だけあるよー と思ってたほうが腹は立たない
価値観が近いと思って結婚した相手でも、何年か連れ添うと えええーって面が必ず見えるし
増してや学校や職場で一緒にいる程度の人だったら・・・
朝起きたら人間になってた話が オフィシャルであるから恐ろしいw >トランスフォーマー
[相棒脳の恐怖]
「組織犯罪阻止法違反で云々・・・」というニュースが流れてくると
「ヒマ課長が働いてるなあ」と思っちゃう
気候がおだやかだと、おだやかになれます
いつもわあわあ騒いですいません、ありがとう
[Eテレ]
小学理科のナレーションを置鮎さんと中田譲治さんが担当しているハァハァハァ
気分転換が下手 っていうのは
個人の責任で、その人が頑張って克服すべき性質なんだろうか
ってまた考えちゃうワタシめんどくさい死にたい
きゅうにつらいさびしい
トランスフォーマーのアメコミを見ながら 年賀状イラストの案を描きました(エッ)
だいたいでけたと思う
すごい! 有意義に過ごしてるじゃない!
弟夫婦にも 来夏 赤ちゃんが産まれる(予定)こととなったわけでして
「これから長いぜ・・・(いろんな意味で)」 って弟にはコッソリ言ってしまったわけで・・・
奥さんも「できるだけ働きたいです」という人なのですが
そういう女の人は産前産後のメンタル面大変です
家にいて、あまり動けなくて募る孤独感とか 社会から置いてかれてる感とかね
サポートしてやってくれよぉ~・・・と
いや きょうも当たり前のように仕事だし
夕飯もいらないと言うので・・・いろいろサボっている
クリスマスは カップルのためのものでもある、ぼっちな人のためでもある
地球上のすべての人のための日
あなたが 誰もが 神様を信じようが 否定しようが、個人の態度とは関係なく、ずっとあり続ける
すべての人のためにある祝祭なんだと 思っています