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伏見稲荷本宮祭にて、ほぼ同じ構図の写真撮ってて笑った

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今年の写真はまだ全部アップロードできてないです。
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今年も本宮祭、お参りしてきました。いやー暑かった。



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弘治年間に武田信虎の子(信顕)が三好氏に取り立てられたという伝承があることから、早くから三好氏は今川・武田と誼を結んでいたのではと思ってましたが、信濃を守護の小笠原氏へ返還するのが長慶の意向だったとすると、むしろ武田とは敵対することになりますね。
将軍から各地の大名への和睦斡旋や上洛要請は、三好氏の圧迫に対抗して自らの権威を高めようとしたものと解釈されてますが、少なくとも小笠原氏の復帰を目指した一連の動きについては、両者の意向が一致していたのは間違いないでしょう。
そう考えると、将軍を迎え入れてからの義輝と長慶の関係は、後の義昭…[全文を見る]
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神戸では風が時々ビュウゥと吹き、雨もパラパラという程度です
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芥川賞よりも芥川山城に登りたいですッ!!
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肝心な話に触れてませんでしたが、なんで三好長慶が小笠原氏に肩入れするかというと、承久の乱後に佐々木氏に代わって阿波守護に任命されたのが小笠原氏で、そのため阿波に土着した有力武士には小笠原氏の支流が多く、三好氏も系譜の上では小笠原一族を称していたからです。
南北朝期には北朝方として細川氏が阿波へ入国し、小笠原一族の多くは南朝方として戦ったものの、やがて細川氏の軍門に下ったとされています。
ちなみに小笠原氏の家紋が三階菱ですが、三好氏もそれに因んだ三階菱に釘抜紋を使っていました。
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将軍義輝から「小笠原大膳大夫帰国事」との謙信への御内書が送られたのが、永禄4年3月。
高槻にある本山寺には同年閏三月、小笠原長時が信濃への復帰祈願を依頼した願文が提出され、同じく喜三郎(貞慶、当時は貞虎)からの書状によると「今度下国身上儀に付き、存分の儘候ば、其相応の地に随い寄進申すべく候」とあるそうです。
この流れを読むと、信濃復帰を図った貞慶が将軍の御内書とともに謙信のもとへ下った可能性が高いこと、そして永禄4年8月に謙信が出陣し大激戦となったあの第四次川中島の合戦には、義輝の意向(≒三好長慶の意向)が関わっている可能性が高いわけ…[全文を見る]
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三好長慶に関してWebで見られる論文を探してたら、興味深い内容の論文を見つけました。
村石正行「小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流」
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-20130400-0039.pdf?file_id=86399
醍醐寺文書にある小笠原長時書状には、武田氏によって領国信濃を追われ在京していた長時が六郎殿(=細川晴元の嫡子)に馬術指南をしていたことが分かるとのこと。
また、長時は義興を通じて筑前守(長慶)の病状について知り得る立場であることから、三好家に深く関わっていたことが窺えるとも。
天野先生も小笠原氏を通じた上杉氏との連携の可能性を指摘されてましたが、この論文でも、将軍義輝から謙信に対して小笠原氏帰国への協力を促す御内書が出された背景には、三好氏の手引きがあったと推測しています。
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神戸は快晴です。どうなってやがる…渦の切れ目?
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