モロッコに半年滞在したあと、アルジェリアへと向かったドラクロワ。
アルジェリアといえば、あの 『アルジェの女たち』(1834年)を、
ドラクロワに描かせた地である。
それまでの西洋絵画にはなかった色彩と光を描き、
絵画史を塗り替えたとまで言われる一枚である。
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美の巨人たちのことを語る
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ドラクロワが かつてここを訪れた際、
あまりの文化の違いに 感動・興奮した彼の作風に、
多大なる影響を与えた、モロッコのタンジェ。
青い壁の家々が美しい。
あんな街並みに 憧れる。
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今日の 美の巨人たち は、北アフリカがテーマです。
多くの画家たちに影響を与えた地と その美を、
いつもはナレーションの小林薫さんが 旅するスペシャル版。
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セザンヌは、のちの画家に多大な影響を与えている。
今日の一枚である 『りんごとオレンジ』 では、
様々な視点から見た像を 画面に混在させて 描いており、
この手法は ピカソらに影響を与え、
それが、ピカソとブラックが中心となって展開した
キュビスムへと 発展してゆく。
また、セザンヌは、りんごと同じくらい多用した
モチーフであるサント・ヴィクトワール山を、
直接的でなく、そのシルエットを用いるようなかたちで、
たびたび作品に登場させた。
『りんごとオレンジ』 にも、寄せたテーブルクロスのシルエットとして現れている。
セザンヌは、静物を、毎日違う表情を見せるもの として 位置づけていた。
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今ではセザンヌ一色のエクス・アン・プロヴァンスだが、
生前の彼は この街では 嫌われていたという。
当時 貴族階級が残っていたこの街では、
帽子屋から銀行家になった セザンヌの父は、
成り上がりだとして、白い目で見られていたのだという。
画家となったセザンヌも、街では変わり者だと思われ、
そのため画家の死後は、親族はここを引き払ったという。
セザンヌ家が この街に戻ったのは、結局、
画家セザンヌの ひ孫が 12歳になったときであったという。
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セザンヌの出生地、フランスの
エクス・アン・プロヴァンスの街は、まさにセザンヌ一色であるという。
駅の出口は ”セザンヌ口” と名付けられ、
地面の セザンヌの名入りプレートをたどれば
彼ゆかりの場所へ行けるようになっていたり、
映画館は ”セザンヌ座”、 セザンヌホテルもある。
(ちなみに、番組内で映った この映画館は、ちょうど
『ガフールの伝説』 上映中の頃だったようだ。 ポスターが映っていた。)
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今週は、ポール・セザンヌでした。
今日の一枚は、オルセー美術館所蔵の 『りんごとオレンジ』(1895頃)。
多くの画家に影響を与えたセザンヌ自身は、
ルーベンスを もっとも尊敬していたという。
”近代絵画の父” と呼ばれるセザンヌは、
生涯200枚以上の静物画を描き、その多くが
りんごを モチーフにしたものだった。
彼は、「りんごでパリを驚かせてみせる」 と言った。
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デッサンの練習で林檎がよく使われるのはセザンヌの影響もあるのかな?
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作家ジョルジュ・サンドは、ショパンの恋人であった。
ルーヴル所蔵の 『ショパンの肖像』 と、別のところにあるが、
同じくドラクロワの描いた 『ジョルジュ・サンドの肖像』 は、
もともと 一枚の絵として構想されたものだったという。
ショパンとサンドは9年で別れ、その2年後ショパンは死んだ。
親友ショパンを失い、ふたたび孤独に陥ったドラクロワ。
ふたりを一枚に描いた肖像画を、手放すことはなかった。
しかし ドラクロワの死後、画商の手に渡った この絵は、
”ふたりを別々にしたほうが 高値で売れる” という理由で、
切り離されてしまったと 言われているという。
ドラクロワは、 ”400年先まで仕事が残っている”
という言葉を遺して 死んだ。
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非常に荒々しい筆致で描かれた 『ショパンの肖像』。
ほかの画家の描いたショパンとは ずいぶん違う。
甘さのある表現で描かれることの多かったショパンを、
モデルを前にした時に感じた印象が 画面に表れるよう、
筆の跡を残し、情熱などの心情までも 表そうとするかのように、
ドラクロワは 描いたのではないか、という。
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今週は ウジェーヌ・ドラクロワです。
今日の一枚は、『ショパンの肖像』(1838)。
ルーヴル美術館所蔵の小さな肖像画。
『民衆を導く自由の女神』(1830)などでも よく知られる画家である。
ドラクロワは、ショパンと親交が深かった。
2010年は、フレデリック・ショパン生誕200年である(10月17日が命日)。
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デューラーといえば、あの有名な自画像をはじめ、
驚異的な技術力と繊細な描写、というイメージが強いが、
以前読んだ本に、実は 非常にお金に細かかった、という話が載っていて面白かった。
旅行中、何にいくら使ったかを細かく記録していて、
そもそも その旅行自体が、自分の作品に支払われるギャラを
もっと上げてほしい、と直談判しにいく旅だった、
と 書いてあったように記憶している(記憶違いだったら申し訳ない)。
今日 番組で紹介された、そんな デューラーの言葉 :
”芸術は自然の中にあり、それを探しあてられる者だけが、芸術に生きることができる。”
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野生の野兎が そんなに長い間 モデルとして目の前に
いてくれるはずもなく、アトリエで描かれたのだろうという 『野兎』。
そして、アトリエで描かれた証となるのが、野兎の眼である。
野兎の眼の中に映りこんだ窓枠までもが 描かれているからである。
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イタリアへ 絵画を学びにいったこともあるデューラーは、
レオナルド・ダ・ヴィンチに 傾倒したという。
人体の様々な比率の研究、博物学的な視点で描いたデッサンの数々。
水彩画の代表作の一枚である 『草むら』 は、余りに
精緻を極めた描写のため、現代でも なんの植物が描かれているか特定できるという。
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500年前の水彩画でありながら、現代まで
驚くほど美しい状態で保たれてきた デューラーの 『野兎』。
これは、かつて皇帝のコレクションだったため、
日に晒すこともなく、非常に慎重に扱われてきたためだという。
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デューラーにしてもブリューゲルにしても名前が格好良すぎる。
特にアルブレヒト・デューラーなんて銀河帝国の大将級の名前だぜ。
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木版画、銅版画、油彩、水彩画。 デューラーは、
何を描いても ずば抜けた技術と描写力だったということを、
サッカーに例え、”FWとMFとDFとGKを ひとりでこなせる
スーパープレーヤーのようなもの。 メッシやクリスティアーノ・ロナウド
だってかなわない” という 番組内ストーリーでの言葉が 面白かった。
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ドイツ、ニュルンベルク生まれのデューラー。
1471年、金細工職人の子として生まれ、十五歳で
地元の絵師に弟子入り。 二十三歳で工房を構え、
木版画を制作。 『ヨハネ黙示録』 は、金細工で培った
技術による細密表現で、見る者を驚嘆させた。
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今週は アルブレヒト・デューラーです。
今日の一枚は、『野兎』(1502)。 細密極まりない水彩画。
世界的なデューラーコレクションを誇る、
ウィーンのアルベルティーナ美術館所蔵。
何の道具も使わず、美しい円を描くことができたというデューラー。
北方ルネサンス最高と謳われる画家。
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フェルメール 『絵画芸術』
市井の人々の暮らしを描く風俗画は、当時、二流とみなされた。
しかし フェルメールは、その風俗画で 唯一無二の存在となった画家である。
画家の中でも地位が高いと思われていた ”歴史画家” を、
自らが描き続けた ”風俗画” の中に 封じ込めたのではないか、と。
机の上の彫刻が倒れているのは、 絵画が 彫刻よりも
優れた芸術であると言いたかったのでは、との解釈もあるという。
そして 絵の中には、目立たせず ひそやかに、自らの名を書いた。
この、17世紀オランダで、風俗画で一時代を築き、
栄光を勝ち取った画家である、と。
その思いを後世に残したく、それらの寓意を込めたのではないか、
という解釈がなりたつ、という話である。