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寺社巡り同好会のことを語る
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鳥取県、鹿野城跡に建つ城山神社にて。
隅立四つ目結の紋は、鹿野藩初代藩主となった亀井氏の家紋です。
(亀井氏と尼子氏のことは語りだすと長くなるので省略)
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最上稲荷の続きです。
絵馬に描かれた最上位経王大菩薩は白狐に跨った女神の姿で、豊川稲荷などで祀られる叱枳尼真天とそっくりです。
(豊川稲荷は曹洞宗なので宗派の違いによるんでしょうか?)
呼び名は変われどお稲荷さんなので、狐像はたくさん奉納されてます。
参道には立派な大鳥居もあります。
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備中高松にあります、最上稲荷山妙教寺。
日本三大稲荷として数えられることもあり、今も神仏習合を色濃く残している日蓮宗の寺院です。
桓武天皇の代に建立された龍王山神宮寺から始まり、水攻めで有名な備中高松城の戦いで堂宇を焼失したものの、関ヶ原合戦後に領主となった花房職之により日円聖人が招致され、「稲荷山妙教寺」として再興されたそうです。
明治の神仏分離令の際には「特別に神仏習合の祭祀形態が許された」とありますが、何か偉い人にコネでもあったんでしょうか?
そんなこんなで「最上位経王大菩薩」と堂々掲げてあります。
日蓮宗の関係からか、境内には妙見さんのお堂もありました。
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【20110718月島もんじゃ焼きオフ】
佃住吉神社。一枚だけ横の構図がまざっているとかがががが。なんで縦で撮っておかなかったんだろう ><
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大阪は靱公園の中にあります、うつぼ楠永神社。樹齢約300年といわれる二本の楠が祀られています。
文禄の頃に近くに遷座した御霊神社の宮跡でもあり、寛永の頃にはこの辺りに永代浜という船着場が開かれ、干鰯の荷揚げや海産物の市場として賑わったそうです。
その間に住吉神社が勧請されていましたが、明治末期には天保町の住吉神社(今は築港の港住吉神社)に合祀されました。
残された楠は大空襲の戦火にも耐え、占領軍の飛行場建設の際に伐採されかけたものの、関係者に災いが起きたためこうして祀られることになったとか。
人の手で植えられた楠が、魚市場、飛行場、そして公園と町の変化とともに過ごし、今は神様として祀られているというのは、何とも日本的で面白いです。
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「堺のお伊勢さん」こと堺神明神社にて。
一等三角点のある山で日本一低い「蘇鉄山」の山岳会事務所も兼ねてるみたいで、登山証をいただきました。
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虎ノ門・金刀比羅宮
石造りの鳥居には四神
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神宮前 隠田神社
こちらが問題の狛犬
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堺市にあります南宗寺。
室町末期に畿内を制した戦国大名の三好長慶が創建した三好家の菩提寺で、臨済宗大徳寺派・大林宗套の開基。
武野紹鷗、北向道陳、千利休、津田宗及など多くの茶人が参禅したことでも知られています。
利休の愛用と伝わる手水鉢。
これは何と「徳川家康の墓」だそうです。
大坂の陣で後藤又兵衛の槍に刺されて重傷を負い、こちらで亡くなったと伝えられ、境内には東照宮もあります。
また、水戸藩初代家老の子孫で、松下幸之助の恩人として知られる三木啓次郎氏が建立した記念碑もあって、興味深いです。
詳しくはこちらが参考になります。
http://www7.ocn.ne.jp/~sakaikvk/html/stone.html
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不忍池弁天堂から、階段を上らずに少し暗いゆるゆる坂を上ると、すぐに五條神社と花園稲荷神社。まだ赤い鳥居があるのでくぐっていくと穴稲荷。
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[先週末の思ひ出]
少し早く鹿島に着いたので、鹿島神宮に立ち寄りました。
「ゆるげども、よもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは」という歌で有名な、要石。