『非公認戦隊アキバレンジャー』 シーズン1をやっと完走しました!
な、なんかすごい疾走感のあとで、色々考えさせられてしまうアレだった...
最後はメタにメタを重ねて、何処に現実と虚構と作品内虚構のパーテーションを切ればいいのかわからなくなった...深いのか浅いのかこの世界...。
ボウケンジャー推しとしては、チーフがいっぱい出るのが嬉しかったです! 開運フォームまで!!
公式戦隊の客演を「ダイソレタパワー」と表現しているのがおかしかったですw
アキバレッド(29歳の妄想力が凄まじい特オタ、最近は美少女バトルアニメに浮気気味...という設定)
の和田正人さん...この頃からするとすっかり出世して...(見守るような気持ち)
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ドアのブのことを語る
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モチーフを探したり写真を撮ることは楽しいのに
「仕事で」だと思うと、気がすすまなくなるのはなんでだろ~~ね~??
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忘れないように: 季節の花写真撮る
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それを「犯罪や犯人の擁護をしている」ととらえる人がいるなら
まあ違う価値観の世界の住人なんだろうな、と思うし もう何とも言えない
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むごい犯罪を犯した人の話を聞くと、すぐ「でも私も運命の歯車が何処かで食い違っていたら同じ事をしていたかもしれない。あの犯人と自分の間に彼岸と此岸のようなそんな大した差は無い」と感じてしまいます
これが共感なのかどうかわからないけど すぐそういう想像をするクセがある、というだけ
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明日は憂鬱なアレ(会議)もあるからヤーだなーと思うけど、
髪切りに行ってサッパリするという楽しい予定も入れてるので頑張る
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うーんちょっとつらい、パニックというほどではないけど
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過去自分も責める側だったことがあるからめちゃくちゃ恥ずかしい、二度とするまい
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何か努力したわけじゃないけど、一時のヤケ食いがおさまり
脚のむくみもとれて 倦怠感はやわらぎました
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どんな罪もナアナアにしろ、とは思ってないんだよ...ただ、
何となく最近、罪を認めた人や被害を告白した人が さらに追い討ちをかけられるようなことになり、
逆に「自分は悪くない」「そのくらいたいしたことないじゃないか」と、強硬な態度で逃げ切った人、開き直る人は何も言われない...
みたいなことが大小問わず多い気がして...
償いたい、変りたいと思った、その機会を得た時点で
それ以上、責める必要がない(少なくともニュースを通してきいてる程度の部外者は)と思うんだよ
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んぐぐ 娘のピアノ行ってきます
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さむい…
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なんかまた支離滅裂だなあ
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ものすごく人の注目を引いたり、大きな金額や大人数を動かし背負う責任があったり、
精神的体力的にキツかったり、休養も不規則にしかとれなかったり
何より、そういう自分の状況について 話す相手がいなかった...っていうのが、今までの常態だったのだとしたら
同じ場所に再び戻り、復帰することが当人にとっても身近な人にとっても、嬉しいことかどうか?また繰り返しになってしまうのでは っていうのは・・・考えてしまうよなあ
(当人の人生に責任を持たない外野には、何とでも言わせておけばよいと思う)
何をもって「社会に戻る」かというのは 本人が続けられる場所を見つけるということであって
決して「元通りになる」ということではない。元通りになれないことに、失望しなくていい...
自分についても、配偶者についても、それは節目でつまづいてきたことです
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[社会復帰のこと]
「社会復帰」って 「復帰前と同じ場所に戻ってくること」ではないよなあって
自分も「むかしと同じくらいがんばれない、できない」ことにイラだって当り散らしたりすることもあるけど
家族が 「ひとは変わり続けるものだから」ととらえてくれているので 支えられている
これまでの生活水準や 出力していた成果、というのがかなり無理して維持していたのだとしたら
年齢とともに同じことをし続けるのは いつか破綻が来たのではないか
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「許せない!」といつも頭に来ている人は、身近な人に許された経験が少なかったり
最近セクハラ界隈で「相手を感情や人格のある人間として扱えない」ひとは
また自身の感情にも鈍感だし、自分の価値も、肩書きや生産性(稼ぎ)でしか
感じられていない人、
だったりするのではないか…という説にも、うなづけるところがある
ひとの想像力には限界があるので、「自分がしてもらったことしか、他者にもできない」のではないか、と思っている
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天候(気圧)の変化に影響を受けやすい種族のたわごとと思って 聞き流して下され
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ものすごーくオオザッパにとらえると「許せない・許されない」ことが多い、と感じるのは 「余裕がない人が多い」のかもねぇ...
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ひとを許すにも、まず自分に「よし」と言えるかどうか、かも...
私を責めていたのは、一生懸命で厳しく自律していて、そういう自負がある子だったけれど、なぜそうなったかというと
まず親にダメだしされ、責め続けられてるような育ちだったものなぁ...「これができなきゃ、許してやらない」みたいな...
親にそうされてきた事を他の人間関係にも 適用していたのかもしれない
ドアのブのことを語る
「間違える→またやり直す」は 誰しもできること、許されていることに しておいてほしい
「生きている限り、やりなおしがきく」という価値観が広まることは、個人だけじゃなく 社会の発展にも寄与することだ、と思うのに
「間違いを許さない→間違いを怖れて何もしなくなる」 が 今の社会のド~ンヨリとした空気を生んでる、と思うのに