地元・福井の掟を破り(嘘)、夏にコンビニで売ってる水ようかんを食べてみました。
これはこれでわるくない…けど。福井で冬に食う水ようかんのほうがうまいな。好みの問題もあるだろうけど。
もう少しちゃんと言うと、うまいうまくないの問題というよりは「求めるものとなんか違う」というか。
夏の水ようかんは涼を求めて食べるもので、冬の水ようかんとは別種の食べ物と思って食べるのが良さそう、かな。
福井の水ようかんおすすめ。(発売時期は11月〜3月くらい)[ステマ]
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地元・福井の掟を破り(嘘)、夏にコンビニで売ってる水ようかんを食べてみました。
これはこれでわるくない…けど。福井で冬に食う水ようかんのほうがうまいな。好みの問題もあるだろうけど。
もう少しちゃんと言うと、うまいうまくないの問題というよりは「求めるものとなんか違う」というか。
夏の水ようかんは涼を求めて食べるもので、冬の水ようかんとは別種の食べ物と思って食べるのが良さそう、かな。
福井の水ようかんおすすめ。(発売時期は11月〜3月くらい)[ステマ]
トマトに砂糖。目玉焼きにソース。
大正生まれの父の朝ご飯はパン。
私が生まれる前は母に毎朝ホットケーキを焼かせていたそうだ
その影響で私も朝はパン、ただしスクランブルエッグとか納豆とかソーセージとか具がないといや
お昼までにおなかすいちゃうんだもん
メロンというと、プリンスメロン。
日曜の朝はパン
日曜の夜はカレー
夕飯は6時
朝食は祖母が作り
夕食は母が作る
外食は滅多になく
ジュースは親戚の家や
よそで飲むもの
コーラは中学くらいまで
飲んだことなかった
お菓子はくれるけど
祖母がくれるのは
年寄り向けの菓子
それか祖母の手作り
カップ麺
冷凍食品も家には無かった
マックは地元にないので(田舎)
母の実家に行くときに
食べさせてもらった記憶が
スターバックスを知ったのは高校の時です
とにかく 「野菜野菜! 野菜を食べろ!」 だったな…
今振り返ると自分ちも周りも農家で、特定の作物の旬になるとそれがめちゃくちゃ余るので
傷む前に必死こいて消費していた面もあるよな、と
うどんと言えば、祖母が地粉(地元産(?)の中力小麦粉)で作る手打ちうどんだった。
更級蕎麦みたいにやや黒ずんだ色で細めのうどん、茹でたてを天ぷらや茹でた青菜を添えて食べる。
冬は郷土料理として名高い「煮ぼうとう(おっきりこみ)」も手打ちの麺で作ってた。
作り手が祖母から母になって、製麺課程は和風パスタマシーンっぽい手動の機械でやるようになったけど、
使ってる粉と手捏ねなのは変わらず。
トマトにはちみつ(おかず)
だからトマトが嫌いだったんだね。謎が解けた〜。
父親が肉類にのみやたら好き嫌いが多かった関係で、
料理に鶏肉や牛肉の入るものを殆ど食べさせられずに育つ。
肉じゃがやすき焼き、カレー等、肉が入らないと美味しくない料理は全て豚、
正月の雑煮は肉抜きの醤油味澄ましに野菜たっぷり。
例外として、鶏の唐揚げだけは食卓に上っていた(その場合、父親は一人だけ豚カツを食べていた)
自営業だったので店が忙しくなって夕食が間に合わないときには
店のもので注文をとられていました
おやつは家の前が駄菓子屋さんだったので駄菓子か 海苔をこっそりたくさんたべていました
「ベトナムでは子どもたちがお腹を空かせて死んでいるのよ」
と食事のたびに諭され、残さず食べることと思想が深く結びつくよう育ちました。
母が若干潔癖寄りの人なので、屋台とか車で売りにくる焼き鳥とかお祭りの時以外禁止。
栄養素が無いからと、ねるねるねるねとかもダメで買ってもらった記憶無し。ケンちゃんラーメンは食べ過ぎて禁止になりました。
ポンジュースとヨーグルトを混ぜたものを「ジョア」と呼んでいて、本家ジョアをパクリだと思っていた。
母が幼少の頃に食べさせられ過ぎたとかで、お粥が食卓に出てきたことが無いです。そして食べたこともない…。
逆に物心ついた時から、母が納豆を毎日食べていて、なんて気持ち悪い食べ物…。と思ってたので、納豆は敵。においはもちろん、食べる人を見るのも嫌だし、納豆を食べた後の食器を洗うのも嫌。茶色のねばねばきもい。
「がめ煮」がお正月の定番。
長じてどうやらそれは対外的には「筑前煮」というらしいと知る。
農薬いっぱいついてるんだからリンゴを皮剥かないで食べちゃだめー!
とか
バナナなんて農薬のカタマリだから!
みたいな。
最近は大分軟化して、バナナ食べても怒られない。
宴会の〆は「たらいうどん」
ホスト側がたらいうどんを出したら「あんたらそろそろ家にお帰り」の意味
味の素を目の仇にしていた。
ケーキ色々とか、チョコレート詰め合わせとかあっても
子どもから好きなものを、なんてものは基本無かった。
家族全員参加のじゃんけん大会で勝った者から。
2順目は負けた者から。
白いごはんやお味噌汁、お漬け物が全く重視されていたなったので、ごはんにはいろいろなものが乗っていた。けれど、丼ものを食べることはほとんどなく、中華丼を知ったのは大人になってから。
ごはんに乗っていたのは
お砂糖入りきな粉、桜でんぶ、ちぎった海苔におしょう油、バター、かつおぶしとおしょう油、缶詰のお魚(いわしの蒲焼きとか、鰹のフレークとか)、各種ふりかけ、お茶漬けの素、塩、梅干し
生まれてから今まで赤味噌が自宅にあったことは皆無です。
作る人が全部決める (食べる人に発言権なし)。