ウェブ検索していてたまたま面白そうな論文が公開されているのを見付けた。著者は王丹丹博士(比較社会文化)。
日本と中国の若者の言語使用に見られる対人関係上の志向性 : 「卑語」、「ぼかし表現」、「アクセサリー化した方言」の使用実態を中心に - 九大コレクション | 九州大学附属図書館
分量があるのでまだ冒頭しか読んでいないけど、「論文要旨」の部分から引用するとこの辺に興味を感じた。
また、婉曲表現とされる「ぼかし表現」は、若者においては集団であることを強調する機能をもつことが分かった。このような親しい若者同士の間の「ぼかし表現」の使用は、従来言われてきた「摩擦の回避」より、「親密さを出す」という解釈のほうが妥当であると考えられる。
ぼちぼち読んでいきたい。
ここ数日、日本語の文法論について考えていたのである。人は眠っている間でも考えることができるもので、目がさめるととっちらかっていた考えがまとまっていることがある。これができると、ものを考えるために睡眠時間を減らさなくてすむのでよい。さて。
わたしもこの数年で言語学をちょっとはかじったので、文法についても学者の書いたものを読めば理屈はわかったつもりになる。されどわたしが欲しているのは、「こうなっている」というような観察的な文法論ではなくて、実際に文を書こうとするときに役立つような実用的な、「よりよく書く」ための文法論なのであった。…[全文を見る]
文法論はじめました。まずは導入。体系的な日本語文法をめざして。
文と語順のこと|こだかな
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江戸時代に日本語の”進化論”を考えた学者が居た〜鈴木朖の《言語四種論》|こだかな
尾張名古屋の偉い人、鈴木朖がテニヲハを軸に日本語の構造を論じたことについて、解説します。