理屈として考えられるのは、は行は古くは p 音だったので、「ふ(pu)」に「武(bu)」を当てることは、音の近さからありえなくはない。とすると、
・もともと「あふ(apu)」という地名があった所に漢音で「阿武(abu)」を当てた。
・一方では字音に固執して「あぶ」と読むようになった。
・もう一方では「あふ」のまま、発音の変化に従って apu→afu となり、さらに au→ou となった。
といったところなんじゃないかと思いました。
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理屈として考えられるのは、は行は古くは p 音だったので、「ふ(pu)」に「武(bu)」を当てることは、音の近さからありえなくはない。とすると、
・もともと「あふ(apu)」という地名があった所に漢音で「阿武(abu)」を当てた。
・一方では字音に固執して「あぶ」と読むようになった。
・もう一方では「あふ」のまま、発音の変化に従って apu→afu となり、さらに au→ou となった。
といったところなんじゃないかと思いました。
「勝ち組」「負け組」という言い方が自分の意識に入ってきたのは経済関係の話で、企業の経営で良い数字が出ている所とそうでない所との違い、という文脈だったから、ある時「おかしな意味」に使われていることに気付いてハハアと思ったことがある。ちなみに、ある経済学者はこの二つに「賭け組」「待ち組」を並べて使っていて、四次元化すると意味合いがまた違ってくるのでホホウと思った。
「こんにちわ」「こんばんわ」のように、「きおつける」「やむおえない」なども俗な表記としては広まりつつあるのだろうか。