我が家(東京都下)から福島県相馬方面に行く交通手段、未だに夜行バスで仙台に出て下るのがお値段も効率も一番良さそう。昼移動だったら新宿ー相馬便があるそうで、そんなバス路線ができたのにはびっくりしたけれど。
母親と常磐線に乗って揺られていたのが懐かしい。親戚のところに行く度に、以前の生活に戻ったわけではないことを感じます。
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東日本大震災のことを語る
東日本大震災のことを語る
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バタバタと仕事中に近所で防災サイレンが鳴って、一瞬固まったけど時間を見て納得しました。
きちんと黙祷する時間はなくて少しだけ。
まだあの日のニュースを聞いたり見たりするだけで泣いてしまいます。
過去になる日は絶対に来ない。
東日本大震災のことを語る
WSのトップニュースが、この話題でない、ところが複数、というのにまず驚いて。
それが故意に焦点をそこに合わせなかったのかは、おいておいて
わからないけれど
今日、何日?ときくパートさん
なんでもない1日のようなバイトくんたちの会話
始業前の、ばたばたしたなか、あの時間がおとずれて、
わたしは、ひとり窓の外の空をみあげて黙祷した
短い短い間
わたしは被災していない
何もできない
何もしていない
けれど
東日本大震災のことを語る
おとといのニュースから。
がれきの中から見つかった頭蓋骨が、行方不明の中学生の女の子のものだと福島県警が発表しました。
4年経って、お骨だけでもご家族のもとへ帰れて良かったと思います。
こういった仕事は経済的復興にはつながりませんが、被災者のこころの復興になると信じたい。
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【再掲】
http://h.hatena.ne.jp/touch/sweetslovers/?date=2011-03-11
4年前の3.11は和歌山旅行に行っていて、電車に乗っていたので地震の揺れには全く気付かず、帰ってテレビを観て初めて惨状を知ったのでした。
この1年前に東北旅行で乗りに行った三陸鉄道は全線が復旧など明るい話題もありますが、原発事故など復興にはまだまだ先が見えないこともたくさんあります。
そして、防災への意識は日々薄れていくもの、今日改めて防災を意識し直したいと思います。
今日も旅に出ていますが「あの日」のことは忘れません、そして犠牲となった方々に黙祷を。
東日本大震災のことを語る
間近で起きた石油コンビナート火災の恐怖が忘れられません、ガス臭と火柱が
あと埋め立て地が多いので液状化で新築の家が傾いたという話もたくたんあって
災害の現れ方は 地域の持つ特性によってそれぞれだし
原発だけじゃなく、便利で快適な生活のために作り出されたものが、自然災害が起きた時に
コントロールを失って被害を増大させる、牙を向くことになることが
あるんだな、と感じます
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2011.3.11 http://doapon.kuron.jp/blog/2011/0312_165810.php …
2012.3.11 http://doapon.kuron.jp/blog/2012/0311_132734.php …
2013.3.11 http://doapon.kuron.jp/blog/2013/0311_230944.php …
2014.3.11 http://doapon.kuron.jp/blog/2014/0311_035636.php … の、日記。
1年目は「思い出したくもない」と書いてるけど
2年目以降は「忘れない」という気持ちが強くなってきていることがわかる 今もそう思う
4年前の震災前後の日記(ブログ)を読み返してるのです
揺れた時は精神科からの帰りのバスの中でした
「死にたい」から「あの時亡くなった人の生きたかった時間を 今私は生きている」ととらえ「ちゃんと生きよう」という方向に
考え方がシフトしていくキッカケであったと思います 少しずつだけど
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犠牲になった方々のご冥福を
震災の被害に苦しんでいらっしゃる方々に、一日も早く穏やかな日々が戻りますよう
復興に力を尽くしてくださる方々のご健康を
お祈り申し上げます
東日本大震災のことを語る
復興に健闘する皆さまが元気で頑張れますように
お亡くなりになられた方々の御霊が安らかでありますように
東日本大震災のことを語る
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2015年3月11日になりました。
あの日のことは克明に覚えています。
その瞬間のこと、テレビをつけネットを開き、ハイクでのやりとり、ケータイは通じず家族と連絡がとれなかったこと。
ものすごい水の壁がおしよせて沈みゆく家々に悲鳴をあげる人たちの映像は忘れられません。
千葉県も津波被害に遭い、亡くなられた方がいます。今でもその映像を見ることができません。
今日はメディアから離れて過ごすように予定を組みました。
「その時」には千葉から黙祷を捧げたいと思います。
東日本大震災のことを語る
この日が来る度にこれを思い出す。
メディアに出ることをあまり好まない彼が、自ら進んで行ったことに胸を打たれたのだと思う。
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みんなに「がんばれがんばれ」と
励まされている間は頑張れるかも
しれない。
被災者の皆さんが一番辛いのは
今かもしれない。
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朝まで寝られず、ラジオでアナウンサーが
「みなさん、もうすぐ夜明けです。頑張りましょう。もうすぐ夜明けです。」と何度も何度も繰り返していた事を覚えています。
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毎年思うことだけど、本当にたくさんの方がお亡くなりになったのは、地震発生時刻よりもずっと後なんだよなあ。あの時間にはまだ特に被害もなく無事でいた方が、何時間か後にあんなことになったというのが…。
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震災から3年が経ちました。
この日のことは忘れられません。
停電、断水など...
「普通」というのがどれだけ幸せなのかはっきりと分かった日でした。
起こらないのが一番ですが、次に震災が起きてしまった時のために、この震災は忘れていけませんね。
そして東北の被災者の方々が一日も早く安心して過ごせる日が来ることを願っています。
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黙祷。
微力ながら復興のために募金も購入もして行こうと思う。
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勝手に引用
>
進学という人生にそうはない貴重な機会を、個人の能力や資質ではなく、震災という理由であきらめなければならないというのは、理不尽以外の何ものでもありません。東日本大震災により進学に困難を感じている受験生を救済しよう、ということで、「まごころサンタ基金奨学金」プロジェクトが動きだしました。
支援の手が届かない方にこそ支援の手を差し伸べる遠野まごころネットが支給する奨学金だけに、いくつか特徴があります。
まず、奨学生の要件です。発生直後、震災関連の奨学金というものは数多く生まれました。ただその大半は、震災により保護者を失…[全文を見る]
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書きました
ダンナさんが被災地ボランティアに行ったはなし