出鱈目な議論で議論そのものを破壊したいと言う意識の背後にあるもの、基本的には「アーアー聞こえないー」だと思っているが、もうひとつマウンティングの欲求のようなものがそこにあることもあって、まぁそういう要素の強い層がひろゆきとか橋下とかを崇拝してたりするんだろうなーってところはある。
「アーアー聞こえないー」ってのが現状追認の意図があるのに対し、マウンティングの方は議論そのものへの嫌悪や恐怖を背景としていると思うのだがけど、何故議論そのものが嫌悪や恐怖の対象になるのかと言えば、議論を通じ何か新しい発見が出来たといった成功体験よりも議…[全文を見る]
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議論/破壊のことを語る
議論/破壊のことを語る
ナイナイ岡村失言問題で、チコちゃん降板署名運動が起きているって話題で、この求めがやりすぎなのか妥当なのかを問うのではなく、そもそもの発言の問題点を誤認しながら「やりすぎ」だとか「やりすぎている奴は××だ」みたいな論い方をする奴らがいて、あまつさえしれっと元々の失言の内容が「差別なんかなかったのにやりすぎ」とか「あれはシャーデンフロイデの問題だが、抗議の形をとりながらお前らもシャーデンフロイデってるやん」とか逸らして行くんだが、「そこからか!そこからなのか!」って思いと共にこの種のミスリードに怠惰からの悪意を認めるべきか、単純に未だ理解に至らないと考えるべきなのか困惑している。