昨日、亘理町へ行ってきました。
高台なんてどこにもなくて、見渡す限り平地で、逃げようがなかったってことがよく分かりました。
震災の日は横浜の会社にいて、大きな揺れがおさまった後、ビルの館内放送が流れました。
震源が実家のある宮城だと知りました。
横浜でこれだけ揺れたのに、宮城にどんな事態が起こっているのか。
ゾッとした、あの感覚は一年経った今でも忘れられません。
今は仙台に住んでます。
初めて会う人とは、まず震災の話になってしまうのは、今でも変わりません。
亡くなられたたくさんの方々のご冥福を祈りながら、今日を過ごそうと思います。
天王町商店街に出てた復興セールのいわきテントでメヒカリの唐揚げ買って黙祷しました。
思いがけず涙がジュワッと湧いてきて自分でも驚きました。
それはさておき。
今日、誕生日・記念日を迎えたハイカーさん、おめでとうございます!
あなたの存在が今日の祝福、今日の貴重なグッドニュースです。
あなたが喜びとともにありますように
それが分かち合われて何倍にも何万倍にも増えていきますように
今日は葛西臨海水族園にいました。
子供連れの親子で大混雑しており、
「何故?」と思いましたが・・・
・・・今日はテレビ見せたくなかったのでしょうね。うん。
私は皆でというよりは
海を見て1年目を迎えたかったので。
結局、幾ばくかの金を出すことと人様の作ってくれたものを受信することしかしなかった一年だったと思う。
直後には何やら沈んでいた気もするが、わずか半月ほどで地震にも原発にも言及しない一日が出現し、僕はあっさりと日常に浸ったと言える。
姪っ子に耽溺し適当に仕事をこなしオフりつまらない冗談を言いボランティアに参加することもなく、今日もサッカーを楽しみ飲み食いし、「ちょうど後半の途中なんだよな」と思うだけで「その時間に何かすることも思い付かなかった」、音楽家達が思いを込めた表現を受け取りまた幾ばくかの金を出して来ただけで今帰路にある。
放射能に怯えることもなく、地震にはむしろ鈍感になった。
確かどこかでかっこ良さげなことをほざいた記憶があるが、僕は今、無様に日常の中にいる。
行おう、日常の幾ばくかを削って。それしかない。
彼女11日になったとたん0時12分に「あの日から5年…」てツイしていました
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ぶれないみき
今日、お誕生日・記念日を迎えたハイカー&そのご家族、ご友人、ファン などなどお祝いしたい方々、おめでとうございます!このポストをお読みだということは今年もこの日を無事にお迎えになったのだと思います。あなたとみなさまの幸せをお祝いし、永きにわたって幸せが続きますようにお祈りします。
ハイクで迎お伝えするのは今日が最後になってしまったけど、覚えていてください。わたしはこれからもずっとこの日にお祝いの日を迎えたあなたを毎年お祝いします。むしろ今日だからこそ、毎年忘れずに。悲劇だけでなく同じかそれ以上の喜びがあったことを強く思いたいと思います。むしろあなたの喜びこそが痛みを癒してくれると確信します。
もう一度、おめでとうございます!
どんな悲しいニュースに満たされようと今日を祝うべく方々が
きちんとたしかに祝福されますように。
9年目。先ほど、黙祷を捧げました。
被災地に住んでる方が穏やかで、幸せに毎日を送れていることを祈っています。
震災から一年後の2012年3月11日に一年前をふりかえってまとめておいた『はてなハイクでふりかえる2011年3月11日』は今も置いてあります。
生々しすぎて冷静な気持ちで、というかすごく途中までしか読めなかった…身近なハイクという場だから余計そう感じるのかな。9年ってもうそんなと思ってたけど、体験としてはまだそんなに経ってないんだな。最近の棚が空なのも状況がちがうことは分かっているけれど思い出してしまう。
なんか色んな報道を見たり、この日のことを思い出すと、「ただ生きていること、それだけで十分で、幸せなんだな」と噛み締めるように思います。普通の暮らしも人生もないかもしれないけれど、たとえ最悪な気分だったとしても、自分が生きている世界と毎日は素晴らしい!としみじみと思う夜です。
発生時間って大抵仕事の真っ最中だから黙祷とかできないんですが、
こだかなさんが残してくれたログ読んで今も背筋を寒くしてる。
当時の勤め先で社内泊してて、
PCの画面で見た「燃え盛りながら津波に流されていく民家」の恐ろしさは、
たぶん死ぬまで忘れないだろう、と思う。
犠牲になった方々のご冥福と、被害に遭われた方々の(いろんな面での)平穏、
それに、福島をはじめとする被災地に幸あれ、と、誰に向けてともなく祈っています。
それにしても、ただでさえ俺の誕生日って東京大空襲の記念日で
(ちなみに「ラサ蜂起」の記念日でもある)、
悲しく辛い話題がメディアに流れてることが多かったのに。
2011年以降はそれに輪をかけて、自分の記憶にも今だ新しい惨事が語られるようになってしまい、
空襲や蜂起はまだしも、自然災害が人の理や情けを気にするはずもないとはいえ、
「ホント、何してくれてんだよまったく…」
と毎年ボヤきたくなってしまうのです。
だからってどの記念日も忘れたいとも忘れていいことだとも思っていませんが、でもなあ……
当時のハイクまとめを読んで、ああ、想像を絶する日だったなと思い出しました。あの時のことを思えば、いまのウイルスなんて(さいわい健康な私には)ぜんぜんこわくないです。大丈夫です。