解説ありがとうございます。はずかしながら小室直樹先生(家元・立川談志師匠がよく取り上げていたので名前だけは知っております)の本をよく読んでいないので、理解してるかというと怪しいのですが、なんとなく流れが判ってきた気がしました。
でもって今後の参考になるかどうかわからない・もしかして既知のものであるかもしれないのですが、ものすごくアバウトなドイツの話をいたします。
ドイツの場合、若干近代化が遅れつつも、行政権の行使には法律上の根拠が必要とし・議会制定法によって行政権司法権の行使を抑制することを目的として、法治主義という考え方がでてきます。最初からパーフェクトではなかったのですが議会の制定する法律によって行政も司法は拘束され、為政者の恣意的ではない運用というか一定の範囲内で自由なり市民の権利が擁護されるようになりました。法律は議会が制定し、議会が国家の最高機関となり、そこで制定される法律が国家のすべての作用を拘束するシステムです。でもってよく形式的法治主義というのですが手続き的にはオッケイならば法律の内容の正当性まで問うことまではせず、つまるところ形式的に議会の承認があればなんとかなってしまう状況が途中からできあがります。手続として正当に成立した法律であれば、その内容の適正を問うことがさしてなかったので(議会が司法権に優先してたせいなのかなとか、他国に比べて早い時期に普通選挙を行い議会を開いてその自負から議会万能主義になってたのかなとか、考えるのですが近現代ドイツ史は不勉強でここらへん個人的に謎なのです)、ナチスの暴走を止めることはできませんでした。その反省からか、法の内容が正当であるか否かを憲法に照らして確かめていく違憲審査制が戦後のドイツでは採用されています(形式的法治主義に対して現在のドイツは実質的法治主義とよばれてます)(並行して自由主義と民主主義を攻撃するものを排除している構造で、ナチスが引き起こした事例を起こさぬようにしています)。なぜヴァイマール体制がナチスを生んだのか、といえば議会制民主主義の混乱や比例代表中心の選挙制度を含め、おそらくドイツの法治主義的なものが根っこのひとつにあるのではないか、とは思ってるのですが、しかし、法治主義自体は恣意的な行政権や司法権の運用をさけるためのものであり、法治主義を引き継いでいたヴァイマール体制では当時としては先進的な社会権的なものも入っていますし、起こりを考えるとそれほど変な考え方ではありません。
でも間違ったほうに行ってしまった、ということをあらためて考えると人は間違えるものである、という考え方は理解できますし、間違いを拡大しない仕組みを作る必要性、というのも理解できますでもってlieutarさんの、現在の社会が近代に背を向けている、という認識もなんだか判ります。
かといって有効な手立てを思いつくか、というと、できることとしたら歴史に強そうな人を投票でえらぶ以外には、歴史について勉強するとか、歴史について書くとか、それくらいしか浮かばないのでもどかしいのですけども。
長々とすいませんでした。
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