私は平戸より西へ行ったことがなくさらにドイツ法研究者ではない一介のサラリーマン(ただし勤務先は五階)なのでへたなことは言えないのですが、ヴァイマール体制を作りながら、ナチスを生んでしまったことがいまのドイツのネオナチ的なものへの警戒などへの源泉になってる、というのは間違いはないと思います。ドイツの場合には繰り返しになりますが「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者」は「意見表明の自由」を筆頭に基本権喪失することを規定した条文(18条)があり全国民に対しての自由で民主的な基本秩序と憲法に対する忠誠の要求が根底にあり、また「自由で民主的な基本秩序」を危うくする結社を禁止する仕組みは、守るべき自由と民主主義の価値を損ないかねない「危なさ」と裏腹で、感覚的には息苦しいところもあります。さらに(議会や裁判所の監視をうけますが名称はそのものズバリの)憲法擁護庁というのを作って自由主義・民主主義にどちらかというと反する思想を持つ組織を監視する組織を形式的には設置していて、範囲は全体主義に限らず、共産主義からはじまっていまはイスラム過激派中国の産業スパイもカバーしてるのですが、「闘う民主主義」はガチというか、徹底しています。じゃあなんでそんな憲法(便宜上憲法と書いてますがほんとは基本法といいます)なのか、っていったらドイツ国民がドイツ国民を根っこでは「信用ならねえ」と思ってるのかもしれません。
ところで「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」というのが日本の憲法第99条あるんすが、なぜかこの尊重し擁護する義務は入っていそうな国民が入ってないのです。諸説あって、多数説としては「国民が憲法を守るのは当たり前で書かなかったにすぎず憲法を守りそうにない連中を限定列挙した」とかいわれてるのですが、少数説なんすけど「国民に対して憲法に対する忠誠の要求を明記してしまうとその名の下に(皇国の名の下において行われた事象のように)国民の権利や自由が侵害されることを憂慮・考慮して入れなかったのではないか」という説もありここらへんわからないでもないのです。日本は戦後もイデオロギーや民主主義の本質がなんであるのかとかすっ飛ばし変な方向へ全速力で突っ走ってしまう可能性がないとはいえない国なので日本は憲法が国民をゆるゆるとしか拘束しない条文でいいのかもしれない、ってのはちょっと思ってしまうのですけど、憲法への忠誠や憲法の擁護とかを考えながら歴史を踏まえて「信用ならねえ」ところがあるドイツとゆるゆるの日本を比べると、最後の一行のナチスを生む100年前のドイツにおいついてないのではないかという問いは重い問いで、否定するだけの材料を私は持っていなかったりします。
[追記]
連投すいません。間違ったと思ったところがあったので訂正しました。