ドイツの場合ナチスが選挙で第一党を占め組閣をし、さらに国会議事堂放火事件のあとに選挙で信任を得たようなかたちになったあと、ナチスが勝利した国会で全権委任法を成立させて独裁へ持って行きます。誤解を恐れずに言えば、ドイツ国内においてナチスを生み出してしまった反省があるから、ナチス肯定をよしとしない方向へ考えるに至ったのではないか、と思います。日本の感覚からするとそのナチス肯定を罪とする発想は結社の自由や表現の自由ってのと矛盾するようにも思えますがドイツ憲法のなかに「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は(結社の自由、教授の自由などの)基本権を喪失する」という条項が入ってるので可能で、なんでも自由ではない、自由をうばう存在に対して国全体で現行憲法を守るいわゆる戦う民主主義・戦う憲法の形式をとっています。
あくまでも推測なのですが、日本の戦前の場合、戦前の政党政治は政友会と民政党のどちらかが交互に首班をだしてきた過去があるのですが暗殺のあとは必ず同じ政党からだしてきました(でないとまたテロが起きる)が、5・15事件のあと犬養と同じ政友会の有力と思われていた人物より元海軍の軍人であるほうがマシだ、ということで軍人をだし、政党政治が終わって挙国一致体制→大政翼賛会→終戦とすすむのですが、この挙国一致体制は妥協の結果でありました。近代史をつきつめて研究してるわけではないのでへたなことはいえないのですがある主義主張を前提とした政党がイニシアチブをとったわけではないので、そこらへんが全体主義的なものに対する日本とドイツの差異というか条文から出てくる意識の差になってきてるのかなあ、と思います。
日本がなぜドイツのような戦う憲法ではないのか・そのようにしなくていいのか、というのはひどく重い問いなのですが、現行憲法をいじるのも得策ではないので、個人的には答えがでません。
id:lieutarのことを語る