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読了のことを語る

「ジョニー・ザ・ラビット」東山彰良
・読んでいる間は繰り返しよみがえる幸せだった甘い思い出が辛くて辛くて
・ラビットを名乗ろうと、バニーを名乗ろうと、その違いを考えるベースが人間にとっての兎であるところとか。どれだけ自己を主張しようとも囚われている“人間に育てられた兎である自分”なのだけど、それって、ついこの間宇多田ヒカルが言っていた「自分は覚えていない、自分が自分になった時期という闇(この闇はダークなイメージではなく不明の時間帯という意味に変化します)」に似ているなぁとか。
・けれども、読み終わって一晩経つと、爽快さが押し寄せます。作者は脱兎のごとくという言葉をしばしば使われるということで、作中でも兎が逃げることが描いてありますが、これは逃げたのではなくて、突っ走った、突き抜けたのではないかしらん、それとも逃げて逃げて逃げ切ったのだって永遠におしまいがないわけではない、いつでも終わりはあるのだから、ゴールしてしまえば、それは完走だったといえるのではないかしらん
・rabbit yearという言葉があるかわかりませんが、それが切なく鮮烈でした