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読了のことを語る

『銀河鉄道の父』門井慶喜
実は私は宮沢賢治の作品の熱心な読者ではないので、逆に「宮沢賢治」という名前に対する先入観を持たずに読めたのかもしれない。
政次郎という人は、とにかく父親として息子が大事で愛しくて仕方のない人だったのだろう。それも今の時代ならば、そういうことに対しての葛藤もそれほど感じることなく、当たり前に感情をあらわしたり行動を取ることもできるだろうけれど、あの時代だから自分でも戸惑い迷ったのではあるまいか。息子が病気で入院となると、普段はものすごく生真面目に実直に取り組んでいる家業を措いてまで病院に泊まり込んで自ら看病せずにはいられないとか、今の時代としても稀有なほどの愛情の表現だ。
賢治自身はそんな父の愛情を感じ、感謝の念もあるがゆえに、自分が父ほどの人間になれないことに自分でももどかしさをどうにもできなかったのかもしれない。父の機体に背くような行動…質屋の店は継がない、宮沢の家が代々熱心に信仰する浄土真宗に反発するように法華信者になる、実直な生活者として生きない、というようなことは、すべてそのもどかしさから来ているようにも思える。
それでも死の床での父との交流、賢治死後に孫たちに賢治の詩や童話を読んで聞かせる父の姿には、いろんなものを削ぎ落として分かり合えた穏やかな感動がある。