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ブラタモリのことを語る

>> id:y2_naranja
歌舞伎方面に関してまとめてくださってありがとうございます。
個人的なことで恐縮なのですが以前鰯売戀引網という演目を18代目と玉三郎丈で観劇してあとで三島由紀夫作と知り、浅学なので三島さんはこんな喜劇を書くのかとおどろいて図書館へ行って調べたら初演は17代勘三郎と歌右衛門で評判は良かった(ような)のですが、三島さんは17代目が喜劇にしてしまったことを許容しつつもいくらか不服であったことを表明してる記述を読みました。でもなんで原作者の意図を汲まずに17代目は喜劇にしてしまったのだろう、というのが長年の疑問でした。ここで17代目の父三代目歌六が大阪出身であることと(その教えを受け継いでいることと)、なおかつ三代目歌六の弟子が喜劇に転向したことを教えてもらったので、その方面の演出のノウハウに長けてることは容易に想像できたので、鰯売を喜劇にしてしまったことについてなんとなく腑に落ちています。結果としてあたって何回も繰り返される作品に仕上がって、当代の勘九郎丈と七之助丈も喜劇として演じてます。
話を無理矢理ブラタモリに戻すと、江戸の荒事などの様式的なものとは異なるものを受容する文化がミナミ(もしくは京阪神)にはあって(思いつくのは近松などの悲恋ものですが)、様式的ではない喜劇もすんなり受容して、いまがあるのかなあ、という気がします。その文化の差は、武士と商人の比率によって形成されたものなのか、地域的なものなのか、わかりませんが。