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のことを語る

エレナ・フェッランテの『リラとわたし ナポリの物語1』読んだ。

isbn:4152096985
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1は、1950年ナポリの場末の町そのもののについてと、そこに生まれ育った少女二人の60年に及ぶ繋がり、の、最初の10年くらいの物語なんだけど、身につまされるほど理解できておもしろかった。
地方の田舎の、どん詰まりの何歩か手前みたいな貧しい町の、貧しい家庭の、お勉強がすごくよくできる「女の子」であるのがどんなことかどんなふうか、というのがすごいちゃんと書かれてる。しかも2パターン。
先生の家庭訪問のエピソードは、母を思い出してしまった。母もそういう子で、同じように家庭訪問されてるので。でも母のほうが状況はきつかったんだな。この物語とは逆に、既に、進学するのが普通になってたから。

あと、それとはまた別に、学ぶことについて。まだ主人公は学ぶことによる自由、にたどり着けてなくて、うっすらと気づき始めたところ。あと少し。

ある種の男ども(敢えて「ども」という)のろくでもなさ。いやもうムカついて吐きそうになった。あんなやつ死んでしまえ。かなり早い段階で「そいつヤバいんじゃないの」と思ったらやっぱりヤバいやつで、でもそれに当初から気づくには、とても哀しい「亀の甲より年の甲」が必要で。
早熟、というのは、どう見えても根っこはまだこども、という意味なんだな。言葉もその対象も、つけこんじゃいけないんだ、「まだこども」の部分に。
たぶん実際こういうやつ多い……多かったんだろう、イタリアにも。祈る過去形。
もしかしたらラストもそういうろくでもなさに通じるのか。

それにしても、なんというところで終わるのか。なんという。
……続きー!