んで、思うことなんだけど、こういう人々に「政治性の忌避ほど政治的なことはない」と言うことを言っても、「上カラ目線デェェェ!」とかってまた別の耳を塞ぐための語が帰ってくるだけで、まぁ「反論」とか「たしなめ」とかそういったことは全く効かないどころか悪化させてしまったのが現状ではないか、まぁこれだとネトウヨの「左翼の態度が悪いから右傾化した」論みたいだけれど、いずれにせよバカでも出来てだらしなくていいのがウヨク、少しは頭を使うのが左翼なんだとしたら左側の方のハードルはそもそも構造的に高いものだと腹をくくるべきものなんかも知れないなとか。
で、そのハードルの突破なんだけど、だからもはや論破なんてしたって無駄で、よく相手を観察しつつ有効手とタイミングを模索するほかないってのと、自身の政治意識がどのように形づくられてきたのか、とくに自身の無関心時代の記憶があるのならば(って言うか自分の場合はわりと思いだせるので)しっかり思い起こしておくべきだなとか思っているのだが、そういったことを考える日々、正力ナベツネ新聞の「輝かしい外交」を称える見出しを横目に溜息をつくのであった。