政府の振舞いはあいかわらずひどいんだけれど、最近はそういったひどさにあまり怒りが沸かなくなってきた。
もちろん個々の事象は酷いし肯定できないんだけど、たとえば「桜を見る会」問題にしたってあの手の悪事は山ほど報告されてきたわけで、もしかしてこれで止めを刺せるのかもしれないけどだとして今更すぎてな。
もちろん落とし前はきっちりつけてもらわなきゃならんのだけど、首をすげかえたところで社会構造が変わるわけでなし、「来年は中止」で無かったことにしようとするように、安倍政権が倒れて無かったことにならないようにってのね。そこはあくまでスタートラインでゴールじゃありませんよと。
なんか、よく「慣れちゃだめだー」とか言うけど、それは身体作用なんで禁じるのは無理。
以前はま、自分の違和感が狂っているわけではないことを確認すべくまともに思える批判を語る人々に縋っていたけど、社会が骨の髄まで腐っていることに確信が持てればそういった不安感も、またそれに対する手当も必要なくなって結局今のところの興味はクソみたいな社会の構造の深掘りと、ありふれた愚かさと、それらへの語り口の作法かもしれない。
あとはまぁ、もうちょっと個人的にもオフグリッド指向に生活をたてる方法とか考えたりしなきゃならんだろうなとも思うけど、このへんいろいろと力をつけないとなー。