(承前)
で、GYAO!のクソレビュー問題続きでたとえば「主人公がクソ」とか「恋人役がクソ」とかって怒ってる系レビュー、確かにそういった登場人物が奇妙な行動をとるときに、その行動の選択の背景となるものが作品を通じ全く説明されていないとか、現実を反映していないとか、テーマの考察に何ら寄与しないわりに無駄に執着が目立たせられているとかならば妥当な批判となりえるんだけど、そのへんフェアに作られているのにも関わらず怒ってるのがものすごく多かったり、そういったレビューに「参考になった!」票が沢山入ってたりするのね。
んで、最初はこれは「ピーマンを出すなんてこのレストラン最悪!」系レビューなのかとも思ったんだけど、もしかすると根本的に他者性がないパターンなのかなとか。登場人物に他者として感情移入するんじゃなくて、全く憑依する依代として快いかどうかをレビューしてしまっていると、状況の悪化が予想されるような行動をあえて選択することに異常な不快感を感じてしまっているのかとか。この場合レビューの作法と言うよりも創作物の鑑賞の作法がそもそも出来ていないってことだったりで、それがなんでそんなことになってしまうのか、あるいは自分自身の作法の変遷とかがどのように変化してきたのかってことに興味が出てきた。
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