最近、イキリオタク問題ってのがあるよなって思っていて、もちろんオタクとしてイキることそのものが悪いってわけでもないんだけれど、行儀の悪いイキリオタクがいる結果、未だオタク差別を再燃させたいと考える奴らに餌を与えているよなとか思うわけで、で、しばしばそのあたりと言うのがネトウヨだったり「表現の自由戦士」だったりする。
結局のところ「イキリ」と言う行為が帰属欲求に基くものだったりするわけだけど、そういうものは個人としての自我が確立していないほどに、それを埋めるように依存を強めてしまうものだから、まぁネトウヨだったり「表現の自由戦士」の併発が珍しくなかったりという結果になる。(もちろん併発なので相関であって因果関係はないのに因果関係を求めようとするのが差別再燃をしようとしている奴らね。)
ただまぁオタクと言う場の発展はもともと権力への興味が薄く独自の興味に基く探求を続けるギーク達の場が、権力的な場での敗残者たちであるナード達の逃避先になったようなもので、そこに精神性があるとすればギークとして何らかの探求をするってことはもちろん、ナード達の包摂と言うこともあったはずなんだけど、そういった包摂がリベラルなものに必ずしも向かず、外部に仮想敵を設定し、外部を攻撃する安直で依存的なものにしばしば向かうってのが頭が痛いわけで。
まぁこの問題、最終的には個人としての成長の失敗がオタクと言う場での表現に過ぎず、結局のところ「如何にして人は個人となるのか」ということを考えるほかないのかもしれないなとか。
自分(id:lieutar)のことを語る