「国体」なるものが何如なる概念かと言うこと。
たとえばそれはしばしば「天皇制のことである」といった語られかたをしたり、白井聡氏による「永続敗戦論」などでは戦後米国が国体として利用されてきたと指摘されたりはしているが、いずれにせよフワフワとして捉えづらい感じがする。
で、これは結局何なのかと言えば象徴であるとしか言い様がない。
で、象徴と言うのだから何を象徴しているのかと言うことなんだけど、これは日本のそのときの権力機構にほかならず、では何故そういった象徴を用いるのかと言えば、あけすけに「権力機構を守る為に命をかけろ」と言えばその暴力性や理不尽さまでもあけすけになってしまうからで、間に象徴を噛ませることで「何か自分には理解が出来ない深遠なものがあるのかもしれない」と怯ませることを意図した装置に過ぎないわけで。
要するにこれは議論破壊の為の詐術ではあるが、もうひとつ物語的に自らを捉えたいと願う、ある種のロマン主義者たちが手軽に酔うための安直な物語の装置としても用いられていると考えられる。
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