冷笑的なのに声が大きい人はいつでもいて、通勤電車でもネットでも世代や性別を問わずそういう人の声は聞き取りやすいように思います。ゆっくり膝突き合わせて話し合うと、そうではない人が(まだ?)多くいることにも気がつきます。そういった人々の声はわたしたちのそれと同様に比較的小さくて、ゆっくりとした言葉づかいで語られるように思います。
わたしはまだ絶望していません。大人にも若者にも子どもにも、冷笑的ではない語り手はたくさんいると信じています。
(最初はお返事 >> を書こうと思ったのですが、どうもうまく考えがまとまらないのです。困った困った)