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コンポストのことを語る

(承前)
発酵モノって微生物の存在を感じることが出来ることだけど、とくにコンポストと言うのはヒトが利用できないものを微生物に分解してもらって作物を通じ再び利用可能なものを取り出す行為なので、命の循環とか、あるいはヒトの世界の狹さと言うのを否応なく感じることでもあるなーって思う。
どうしてもお金でスーパーで必要なものを買うだけの生活だと、ヒトの世界だけで全てが完結しているように錯覚してしまって、ヒトの世界の外側は一次産業と言うインターフェイスを通じてのみ繋がっているような感覚になってしまう。
でも自分で種を撒いたっていいのだし、自然との結びつきを取り戻すことはどんな生活の中でだって出来ることのように思う。
また、この結びつく感覚こそが神なき文化において神の代わりになるもの…あるいは原始文明では地母神が信仰されていたが、やがて文明化が進むと天空神への信仰が現われるといった解説を前提とするなら神とはむしろ命の豊かではない世界にヒトが進出する為に自然に代わって見出されたものではないかと言う気すらしてくる。
そういった命の結びつきの感覚はヒトとしてと言うより生き物としての基礎的なものではないかと思うが、種苗法問題とかもそういう点から考えるべきものだとは思う。
もちろん、このへんは安易なスピリチュアリズムに堕ちてしまう危険性がある領域であることには注意しなければならないのだけれども。