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日常のことを語る

前のポストの続きなのですが、縄文時代の日本人はトチの実やクリ、ドングリなどの堅果、山菜、淡水魚や海水魚、貝、猪や鹿などの獣を主食にしていた。で、弥生時代は紀元前10世紀くらいから始まるんだけど、稲作により社会集団の形成が特長らしい。
で、国家による土地や人民の統制っていつ始まったんだというと、681年の飛鳥浄御原令や701年の大宝律令かららしい。つまり稲作伝播から1700年くらいは日本には国家がなくて自由だったのだ。あるいは、部族抗争が激しくなっていて、それを終わらせるために6、7世紀の人たちは統一政府を頑張ってつくったのかもしれない。
しかし、この戸籍を把握して、田畑を与えて、税金を取るという律令体制は奈良時代の終わりには行き詰まってしまった。で、平安、鎌倉、室町と荘園公領制が広がり、地頭が台頭し、守護が置かれて、守護大名が誕生して、好き勝手にやるようになっていたのです。
というわけで、1582年からの太閤検地が国家による土地や人民の統制の決め手だったんだなと思う。大学受験ぶりに思い出したんだけど、色んなことを吟味して考察したくなる点が多数あります。