講座を期間延長してもらった。
ただでさえ少ない脳みそも絞り切って限界。課題の締め切りも延びた。仕切り直して計画を立て直して明日から再出発する。
今日はだらけて朝から何もせず語学の勉強と銘打ってただシリーズものをみている。リラックスは必要だと思う。
晩ご飯には久しぶりにワインを飲もう。
/日常
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講座を期間延長してもらった。
ただでさえ少ない脳みそも絞り切って限界。課題の締め切りも延びた。仕切り直して計画を立て直して明日から再出発する。
今日はだらけて朝から何もせず語学の勉強と銘打ってただシリーズものをみている。リラックスは必要だと思う。
晩ご飯には久しぶりにワインを飲もう。
梨が一つ300円くらいする。
以前は一つ100円台で売っていたと思うけど、その以前というのがいつのことだったか。
少なくとも去年は、私は梨を買わなかったと思う。
もしかしてここ数年はこのくらいの値段だったのか、あるいは今年は特に高いのか。
グッモロン!
週末は今季最後の夏日、20度になるらしい。
来週から寒くなるということなのか。
毎日外に出るのはゴミ出しだけでさっぱりわからない。
パソコンでもスマートフォンでも軌道に乗せるまでの作業が煩わしい。そこもササッと単純にする技術革新は起きないのだろうか。
花金。
よい1日を。
グッモロン!
今日も課題。早く解放されたいけど出口は遠い。
美味しいものでも作って食べたい。これが今の娯楽。
よい1日を。
仔象が水浴びする動画を見ながら「ツァラツストラかく語りき」を聞いている。出現のインパクト、恍惚感、壮大さ。なかなかに合う…。
久しぶりに平成初期の文庫本を読んだら、びっくりするくらい文字が小さかった。新潮文庫ベースで調べてみると、文字サイズは戦前は7.5pt、戦後は8pt、1982年から8.5pt、1999年から9pt、2002年から9.25ptと大きくなっていったらしい。ぼくは度数をかなり落とした手元が見やすい数字専用の眼鏡を持っているんだけど(世間ではこれを老眼鏡というのかもしれない)、これをして8.5ptの文庫本を読んでると、テントの中に入ってるように落ち着いた気分になった。昔はこんな風な感じで、スマホの代わりに、小さな本を手にして、ところ構わず本を読んでいたんだよなと思った。
学校が管理しているAIで色々勉強を助けてもらっている。問題を出してほしいというと出してくれるし答え合わせもしてくれるし通信教育で先生にすぐ聞けない環境にとってはありがたい。AIについて色々読んでいたらブログやらをAIに書かせる人もいるらしい。それもイメージと幾つかの単語で成り立つらしい。そういえば何だか変な気がする文章だなぁと思うものがネット上には多くあるがそれらがきっとAI作成なんだと思う。長文だったり色々詰め込んであるのに何も伝わってこない。心がないのだと思う。
国中何となく晴れない雰囲気なのは13日に終わった選挙の結果と政権がどこに移るか混迷してカオスが続いているからだ。ニュースも冴えない悩んだ政治家の顔しか映らずどこに決まったとしても新政権が始まるのにそれが決まらないので選挙前の攻撃的な雰囲気がいつまでも残っている。組閣も難航するだろうし先は全く見えない。生活に直結しているから皆結構イライラしている。
一方で日本の新しい大臣の顔触れをみたが元アイドルの方が多いなと思う。仕事さえ国民第一でやって頂ければ過去の経歴何て問題視しない。
グッモロン!
昨日は買い出しに行ったらすっかり疲れた。根菜売り出し週間。せっせと食べよう。根菜ではないが昨日はピーマン🫑もたくさん買って細く切って炒めて醤油、白ワイン、砂糖で味付け、とき卵を加えて出来上がり。あっさり美味しく出来た。かつお節を入れたら美味しいけど残念ながらない😔
よい1日を。
いまも陰謀論にハマっている年長のお友達がいるのだが、
このところ「台風26号はすでに消滅している」と言い張っている。
なぜかというと気象衛星からの画像で台風に目がないからだっていうんだけど、
台風も末期になると徐々に目が崩れていくんじゃなかったかな。
めんどうなので触れずに流してしまいました。
グッモロン!
布団から出たくないのと終わらない課題の間で板挟み。
起き上がろう。
よい1日を。
高校生の頃、ヒッチハイクで日本縦断をしている中で、偶然にも倉本聰氏が主催する「富良野塾」の公演を現地で観たことがある。大人になってから「なんで若い頃の自分は舞台演劇の世界に身を投じなかったのか」と後悔することがあったけど、倉本氏の訃報を聞いて、「圧倒的に怖かったからだ」と思い出した。というのは、当時、倉本氏が主宰していた富良野塾は脚本家や役者を目指す若者が2年間農業をしながら、演劇を学ぶ場だったんだけど、多くの人がボロボロになっていたからだ。それだけでなく、若い自分にとって、倉本氏の作品は人間の弱さや情けなさ、日本社会で生きることの苦労、惨めさを直に突きつけてくるものだったからだ。しかし、それは実際の人生よりもはるかに優しく、だからこそ人生は豊かで温かく素晴らしいものなのだと気づくまでには本当に長い時間がかかった。というわけで、ご冥福をお祈りしたい。
ふとしたきっかけでイタリア・ネオリアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督とフェデリコ・フェリーニ監督の関係について調べたら、フェリーニがロッセリーニの代表作『無防備都市』の脚本を書いていたことを知って驚いた。かつフェリーニは『青春群像』というデビュー作で若きイタリア・ネオリアリズモの継承者という評判も得ていて驚いた。フェリーニの『道』という作品はずっと1930年代のものだと思っていた。だから『カサブランカ』や『マルタの鷹』(1940年代前半)より新しく、『無防備都市』より新しい(1945年)、1954年公開の作品であることにとても驚いたのだった。
課題に向き合うといつの間にか居眠っている。
情けない。夏休みも終わり受験生も苦しい時だろうとともに頑張るつもりがウトウトしている。
グッモロン!
月曜日が始まった。秋は深まる。
午後1時の太陽が夏の5時や6時くらいの雰囲気で脳の時間感覚が混乱する。長く住んでもいつも変な気がして慣れない。
よい1日を。
ふと昭和の終わり頃までは「悪いことをすると、サーカスの人に連れて行かれるよ!」という謎の言葉があったことを思い出した。ぼくの場合は「バイキングのお店で頼んだものを全部食べきれないと、サーカスの人に連れられていくよ」という使い方だったのだけど、この警句と食に関する道徳が同時に存在した稀な時代だったのだ。で、サーカスというと、フェデリコ・フェリーニの『道』という映画を思い出すんだけど、これはまさに白痴の女の子・ジェルソミーナが旅芸人ザンパノに買われ連れられていった映画だった。そして、19世紀までのヨーロッパではどこからともなくやってくるロマの人たちが「子どもを連れていく」ことが現実的な感覚としてあったので、20世紀後半の日本まで謎の恐怖感を与えていたんだなと調べて分かって納得した。
名古屋メシの代表である味噌カツには、ジャブジャブに味噌ダレをかけるしっとりタイプと、甘辛い赤味噌ダレが少しかかったサクサクタイプがある。で、有名な矢場とんは前者のお店の代表格だけど、「つけてみそかけてみそ」文化で育ったぼくは後者のほうが好きである。
グッモロン!
今日も課題。電力代の高騰が数日激しかったが今日は午後だけ少し下がるのでそこで頑張ってケーキを焼きたい。洗濯物もたまってきたので洗濯と同時進行させよう。
よい1日を。
近所を散歩していたら、猫が二匹いた。
色は白と茶色で違っていたけど、どちらもひょろっとした感じの似たような形をしていたので、親子かなと思った。
私が歩いていく方向にその猫たちも歩いていき、やがて立ち止まった。
追い越すときに奥の方を見たら、同じような白と茶色の小さい猫がいた。
子供はそっちだったのか。
グッモロン!
今日は土曜日。しかしさらに課題は続く。
部屋はカオス。食事はいい加減。
荒れ果てている。
よい1日を。