わたしにないものを持ってるなと思います。
「それはそれ これはこれ」が秘訣みたいですよ。
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くたびれ はてこのことを語る
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性愛の対象にするときばっかり大人扱いするな。
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「もう子どもじゃないのよ」とか言うのは、やっぱり二十歳すぎてからにしてほしい。
そんで大人と認めるのは22、3でいいよ。
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「15才だと! なんとまだ子どもではないか」
「はじめて会ったのは17才、ほんの子どものころだ」
と、十代を子ども扱いする描写がたくさん出てくる本を読んで好感を持った。
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神への信仰を持っているとか、愛国心があるということが許されないなんて、日本て特殊だ。欧米化欧米化っていうけど、ちっとも欧米的じゃないよ。それでいて仏教行事は欠かさないし、それに関するジンクスは多いし、選民意識も強くて、言ってることとやってることばらばらだ。
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祈りというのは雨乞いのような神頼み的なものばかりではない。心の平安や勇気や知恵を祈り求めることもある。”ディープ・インパクト”で万策尽きた大統領が「祈りましょう」と言ったけど、神国日本信仰に裏切られたことを根深く恨んでいる日本人はこういうの嫌う。たぶん邦画でやったら不評だっただろうと思う。でも、人間の力を超えたものに委ねるしかないことはある。
キリスト教圏で始まったセラピーの概念は、日本では本来の意味が伝わりづらいんだな、と日本の医師が書いた本と洋書を比較してよく思う。神という概念を出さないように、信仰を持ち出さないように、”合理的に”精製した考えを説こうとする。
でもまあ、神に委ねて思いの平安を得る、というのが欧米のセラピーの基本だから、核心部分をとって応用するのは無理があるよね。宗教組織と神をごっちゃに考えている人は多い。
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セラピーの基本は「この世界の出来事は自分の手には負えない。もっと大きな力に委ねるしかない」で、これを自覚することから始まる。他人の人生や考え方ではなく、自分の足元見て、やれることをこつこつやって、手に負えないことは委ねようと考えるようになる。
「すべては自分しだい」という一見前向きな考えの背後には「世の中の出来事の責任は自分にある」という無茶な思想がある。そうすると悪いこと、恐ろしいことが起きたのは自分の責任ということで、そういうことが起きなかったのは自分の手柄ということになる。因果応報論。いまの人生に因果関係が見えなければ見えない前世から持ってくる。これは現実的に問題に取り組む上で合理的ではないと思う。
「すべては自分しだい」ではなく「どんな事態であっても自分にできることは何かしらある」というのが正確なところ。心の中で祈ることもふくめて、出来ることは何かしらある。
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「こういうことを守って心がけをよくしていれば怖いことはおこらない」と信じて生きるのは、暗闇でお化けが出ないようにおまじないをするようなものですね。それさえしっかりやっていれば心配ない。ここは安全。
そういう風に考えていると、災厄がふりかかることと被害者の行いには必ずしも因果関係はないという現実を認めるのは、耐えられないのかもしれません。何をしていても問題が起きることはある、ということですものね。
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やるよね。
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少なくとも結婚は墓場だとか無駄遣いだとか生きるのは辛いことばかりとか年取るともっと酷いとか生い立ちの影響は一生逃れられないとか、呪いじみたことをいうのは冗談がわかる人を相手に言おうと思う。だいたいそんなの嘘だし。嘘嫌い。現実主義を気取った悲観主義とか頭悪くて大嫌い。大人がそういうこと言うと、信じちゃう人が出るからいかん。いたずらに絶望させるだけさせて、人生の知恵は出し惜しみとかアホか。ほうっておいても人生の辛さなんかいずれ経験するんだよ。注射打ったら痛いぞ、血が出るのも怖いぞとかせつせつと語ってるようなもんじゃん。どうしたらち…[全文を見る]
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なんすかね、もう大人だから? あとからくるみなさんに「へえー、大人になるのも悪くなさそうだなー」と思ってもらえるようなことをなるだけ言って生きたい。そういうのって自殺率に影響する気がする。結婚悪くないよとか、生い立ち酷くても決定打じゃないよとか。嘘じゃないし。
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「子どもを虐待しそうなカップルを見た」という増田に対して、そういう場合なにが出来たか、誤解の可能性はないか、追跡調査できないのか、娘との面接はないのか、そういう質問が出ないのはなぜだ。
なぜ、結婚相談所が責任を取るべきだとか、養子縁組が間違っているとか、とにかく自分と関係ないどこかが行動すべきだという話になるんだ。
そんなことだから助けを求めるところに手が足りないんだよ。
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「異性の親がいる家では虐待が起きている」
「子連れ再婚した家では虐待が起きている」
と言うのは、
「あなたの家でも虐待が起きているだろう」
「あなたの夫が、父が、息子が、少女を虐待しているだろう」
という意味でもあるということを、慎重に考えて発言すべきだと思う。
問題は、起きないようにするにはどうしたらいいか、起きていたらどうしたらいいかだ。どうすれば兆候に気付き、逃れる手段を見出せるか、何が使えるか。
人と人が対峙する場すべてに暴力の可能性はある。
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「もう親子関係なくして国で管理しろよ」というコメントを見ました。
そういうコメントは少なくありません。
でも乳児院や養護施設が安全なわけではないことだって、誰もが知っています。
そのなかでステップファミリーだけが際立って危険であるかのような風聞が流れることは、なんら虐待を阻止することにも減らすことにもならないとわたしは思います。
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「思春期の娘がいる女性と結婚する男性には下劣な下心があるのだ」
と仄めかす増田を読んで、
「うんまあそういう人もいるかもしれないけど、山田のことも知ってほしい」
と思った。
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ハイクってダイヤリとくらべてほんとハードル低いな。
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仕事の関係でおかまの知り合いが多かった継母は、なぜかおかまに大人気だった父と再婚することにしたとき、39歳だった。
「あんた子連れの三重苦のくせに、再婚なんてふざけんじゃないわよ~!」
と言われたそう。39歳という年齢が実感として少し分かるようになった最近、あの辛い再婚当初を思い出す。
ここまでなんとかやれてきてよかった。
再婚考えてるみなさん、再婚したみなさん、希望を持ってがんばってください。
はてこもがんばります。
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継母は、まあ酷いところがある。実母と互角に張れるベクトルの違う酷さを持ってる。
でもあの人も家族なんだよね。
わたしが長い間ちょっと特殊な集団に属してたせいもあって、継妹とは疎遠。
それでも妹だから、何かしてやりたいといつも思う。
もちのすけはわたしの妹も継妹も実母も継母もわけ隔てなくくそみそに言う。
でも会うときは非常に感じよく愛想良く丁寧に接するのでわたし以上に愛されてる。
この人もいまはわたしの家族。
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血の繋がりのない、共有する思い出のない人と家族になる。
結婚ってそういうものだ。血の繋がらない兄弟姉妹や親子も、家族になっていける。
血が繋がっているとき同様、なんとかならないこともある。
継母と父を見てわたしは結婚に希望を持った。
むちゃくちゃ喧嘩しても、憎みあわずに仲直りできることもあるんだと知った。
「これは喧嘩じゃない、夫婦の意見の交換なの!!」といっていた継母。
「ベーサメー♪」と歌いながら、来客の前で父にしなだれかかっていた継母。
母とは違う、夫への接し方を見た。それはわたしのいまの結婚の土台石のひとつだ。
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父はわたしの母を含めて三度結婚したので、わたしは漠然と(今度の結婚はいつまでなのかな?)と思っていた。添い遂げるらしい、と実感したのは数年前だった。
継母にとっては父が唯一の夫で、継子にとっても父は唯一の父親で、ふたりが頼る家は父のいる家だけだ。うまくいかないことは色々ある。けどまあ、楽しい時間もたくさんあったと思う。継母は血のつながらない孫が、自分と同じ左利きであることがものすごくうれしいらしい。三人のおばあちゃんの中で、いちばん孫と仲がいい。
弟のお嫁さんはいびった。わたしの母と同じく、息子の嫁にやきもちをやいたのだった。
同じく息子の嫁にやきもちをやいた祖母の下の世話は継母がやった。
いつも笑顔で果たして看取った。
祖父はわけ隔てなく継孫をかわいがり、継妹はわたしたち同様祖父をだいじにしている。
/くたびれ はてこ