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Tips:スクワットは、回数を急に増やすと膝を痛める。調子を見ながら少しずつやってみよう。
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一番最初に住んでいた家のことを語る

大阪市浪速区日本橋東にあった昭和初期に建てられた大阪市営住宅(通称軍艦アパート)

(写真は関西今昔建築散歩 http://kenchiqoo.net/archives/000340.html より転載)

亡くなった父に聞いた話では、家賃は昭和40年頃で数百円。 この家賃は取り壊されるまで(2006年頃)までほとんど変わらなかったらしいです。
当時としては珍しい水洗トイレがあったとのことです。 風呂は近くの銭湯に行っていました。
私のかすかな記憶では、すぐ近くに冷やしあめを売っている店があった事と、紙芝居のオッチャンがソースせんべいを売りにきていました。
この住宅には4歳ぐらいまで住んでいて、その後大東市に引っ越しました。

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一番最初に住んでいた家のことを語る

おかあさん、それはあなた自身です。

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一番最初に住んでいた家のことを語る

家賃数千円の府営住宅。
古い木造平屋だったけど縁側と結構大きな庭も付いていて、今から思うと贅沢な住居だったな。

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一番最初に住んでいた家のことを語る

戦時中に作られた一軒家。木造平屋建て。冷房もなかった。夏は暑くて図書館に逃げてたけど、家の中では文鎮状のものをノートにのせて扇風機をまわして勉強してた。すぐそばに畑と雑木林。ムクドリのほか、よくヤマバトがやってきて、でーでーっぽぽー、でー、って啼く。梅とザクロがあったかなあ。十年以上前に取り壊して現存せず。

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一番最初に住んでいた家のことを語る

小学校入学前に引っ越したので、それほど長くは住んでいなかったんだけど、結構鮮明に覚えている。
白樺の木がたくさん生えている庭があって、2階には芸術家だった父が油絵を描くためにいつもこもっているアトリエがあった。その白樺は父が大好きで絵の題材としていたため、家の中にはきれいな白樺の絵がいっぱい飾られていた。
暖房は北海道らしく煉瓦のペチカ。石炭が燃料だったので火をつけるための新聞紙を丸めるのが自分の仕事だった。
灰かき落とすための「デレッキ」ももちろんあったし、雪の上に灰を撒いて融雪剤代わりにするということも教えてもらった。
庭には秋になるといろんなきのこが生えてきて、これは○○だよ、こっちは△△だね、と教えられてきのこに興味を持った。
その次に引越した家は鉄筋コンクリートの立派な家だったけど、あったかいペチカのある最初の家のほうが居心地がずっとよかった。