高校生まで住んだ
借家で風呂なし、1階がお店で2階が住居 お店を開ける時に暖簾をだす
隣は喫茶店と本屋さん 家の前に駄菓子屋さん(屋外)があって 毎日埃まみれの駄菓子を食べていた
朝起きると たまにマージャンしている大人たちが1階のお店にいた
勝手口をあけると ちょうど本屋さんの茶の間があって食事時に雑談
階段が急でよく手から降りて遊んでた(何が面白かったんだろう…)
トイレが1階にしかなくてお客さんと共有だったので お客さんに声をかけられないように息を潜めてトイレへ
そのせいか今も1日2~3回しかトイレに行かない
本屋さんが反対側の隣の家と繋がっていて(開かないドアがある)
自分の家も壁に穴が開くとか(桃太郎侍の長屋みたいに) いつかどこかと繋がらないかなぁ~と思っていた
六軒長屋の一番端の家。
八畳と四畳半に一家6人で暮らしていました。
一言で言えば貧乏。
一歳まで建て替える前の母方の祖父母宅に住んでいた筈だが覚えてはない。
最初の記憶は社宅の5階・D-501。ついで弟が生まれたので同じ社宅の一階へ引っ越しC-102、三歳の時。同じ面積の筈だが記憶の中では最初のアパートが1.5倍くらい広い。
まぁ、僕が大きくなったのだ。そういう話。
実家の、今は駐車場と物置になっている場所にあった木造平屋に四歳まで住んでいた。
平屋だったのに、外階段の先に今で言うロフトのような、六畳ほどの叔母たちの勉強部屋が残ってた。
そこにはアランドロンのポスターがあったり、古いテスト用紙や教科書が残っていたり、後の小学生の私には刺激的な秘密の部屋だった。
母屋には広い濡れ縁があって、日当たりがよくて暖かかった。
その先の庭には春には牡丹が咲いていた。
家の中は、障子ではなく戸板で重く、南に向いていない中の部屋は暗かった。
鴨居に、七転び八起きと書かれただるまの絵があって、そのだるまが見てい…[全文を見る]
父の会社の社宅で、もちろん今はもうない
たぶん鉄筋コンクリ4階建てくらい、エレベーターなし、和室2DKくらいの典型的な高度成長期築の集合住宅だったのではないかと
写真を見てもサッパリ思い出せず、まあまったく記憶はないのだけど
窓いっぱいに江戸川花火大会の打ち上げ花火が見え
轟音にびっくりして泣いた、というワンシーンだけ覚えている
二軒つらなった平屋の長屋で、表通りから見れば奥側の、日当たりの悪い家だった。玄関の引き戸は建て付けが悪くて、鍵は先端が螺旋状になっている金属棒を鍵穴に差し込んで回転させるタイプだったと思う。間取りは六畳二間、トイレはくみ取り式。玄関を上がって最初の部屋の右手に次の六畳間、正面奥に物干し場兼庭に出るガラス入りの格子戸がある。ふたつ目の六畳間には家の外に増設された物置に下りる戸口があって、その戸口を抜けた先のトタン屋根と裸電球がひたすら暗い物置のさらに奥に、小さいお風呂場があった。物干し場は六畳より少し大きい、家屋の間取りからするとバランスの悪い広さ。かつてバルコニーであったことを思わせるすごく錆びた鉄柵とところどころ朽ち果てて穴が開いた床板、右の奥の隅の床板がほとんど落ちた場所に立派な枇杷の木が立っていた。
同じ区内の母方の実家。
赤ん坊のうちに現住所に引っ越したので、住んでいた時の記憶は無いが、
割と頻繁に訪れたので、記憶には残っている。
祖父母と伯父(母の兄)一家が住んでいたが、
祖父母が亡くなって何年か後、色々あって人手に渡った。
恐らく今でも同じ建物で残っているはず。
一度も引越しをしたことがないので、今住んでいる家。
小さい頃は 両親共働きだったので、ほぼ 母実家に預けられてましたが…
普通の2階建てのお家でした。生まれて6年間しかいなかったので記憶がそれほどないけど、キッチンの入口がアーチ型になっていたのと、モナ・リザの絵が掛けてあったのは鮮明に覚えてる。
試しにグーグルマップで確認したらまだありました。
庭に小さな池があって、針金と割り箸と糸で作った釣竿で金魚を釣ろうとしたが当然釣れなかった。
小学生くらいになってから工事のために池を取り壊したところ、底から乳幼児用のおもちゃが大量に出てきた。
赤ん坊時代の自分たち兄弟が窓からせっせとポイポイしていたらしい。
兵庫県尼崎市の祖父母が買った一軒家に、長男だった父の元に母が嫁ぎました。
ワタシは、そこで生まれ、2歳くらぃまで育ったそ~です。
その後、大阪府内に引っ越し、アパート住まいとか。
祖母がネコ大好き人間で、それは、大きなトラネコちゃんがいたそ~ですが。
母は、生まれたばかりのワタシのそばにいつもいるのが、怖くて。
それ以来、ネコ嫌ぃになったようです。
は昭和30年代前半には建っていたんじゃないかな。でも蓑や石臼(街中なので使うことはない)が転がってたり引っ越しで物置を整理したとき、バンカラな高下駄や祖母曰く昔の預金通帳(筆で縦に手書き)が出てきたり、戦前、下手すると大正の遺物には事欠かなかった。おかげで現在も築20年くらいの物件は内心かなり新しい印象を受ける。今の住まいは築35年ほどで十分古いが子どもの頃あこがれていたようなマンションなので勝手に古さを感じていなかった。しかし先日75年制作の映画に出てきたキッチン(当時最新)がうちのとそっくりでそろそろ現代を生きたほうがいいのかなべつにいいかとかちょっと思った。
祖母が嫁いできたときには建て替えの話が出ていたけど祖父が若くして亡くなったため30年以上そのままで、
母が嫁いでから父と二人で働いてローンを組んで建て替えたそう。
台風の時には近所の人が心配して様子を見に来るくらいボロ屋だったとか。
私が住んでいたのは2歳までだったので覚えてません。
小学校にあがる前は、ここから少し離れた今はもうない小高い丘のうえにある二階建てアパートの二階で暮らしていました
その前には長屋が後ろには筍や木苺が生えている裏山があって子どもたちの遊び場でした
したの部屋に住む同い年の女の子とよく仲良く遊びましたが彼女は幼稚園、両親共働きの私は保育園へ通っているのが子供心に不思議でした
木造平屋建ての長屋の一角。
小学校から歩いて2分かかるかどうかって近さだったのと、玄関が土間+ガラスの引き戸だったこと、かなり狭かったってこと、くらいしか覚えてない。建物自体も多分現存しない。
小学校低学年で、同じ町内に父が建てた二階建ての一軒家に引っ越して、そこが今の実家。
は、その後、ちょっといかがわしい感じの歌声喫茶になり、居酒屋になり、別の居酒屋になり、そこから先は知らない