溺れる人を助けようとしてしがみつかれ、共に溺れる危険がある時は
身の安全を確保できるところから助ける、と同じ理論で
精神的に弱っている人と関わる時は、自分も疲れ果てない範囲で関わることが互いの健康と命のため、だと思うのだけれど
「死にたい」「憎い、殺したい」という話を聴いてるうちに「じゃあ私も死にたいし復讐したい」と影響感化されてしまう私には
今のところ、それは向かないな、ムリなことだな…と思う
自分の安全と身近な人へ、さらに落ち込みを伝播しないために、距離を置く、見ないことにする
…という対処しかできない
冷たいかもしれないけど やっぱり顔を知らない人の言葉に触れて、日々のエネルギーを消費して
家族を悲しませるわけにいかないので…
また、そう思うと如何に自分も愚痴を書き連ねることで
はるか遠くの人たちを消耗させていたかもしれないな、と恥ずかしくなる
前の「キング・アーサー」の映画は、もっとファンタジーを期待して観に行ったら
意外と重厚で、味方でも死ぬ人は死ぬ中世らしい薄暗い映画だったなあ...
それはそれで良かったんだけど...お色気シーンはイラネーと思った…
諸事情で映画館で観られなかった「血煙の石川五ェ門」を借りてきたんですが、家人は
(この前の次元大介の墓標が)「かっこよすぎてなんか違うと思った」と言ってて
ワタシは「いや、こっちのルパンみたいなのが観たかったんだ!」と思ってて、こう、『ルパン三世』に描くイメージの人それぞれのギャップを感じるなどする
たぶんこれ、まだ出してなかった気がする(うろおぼえ)

真に「ひとり」が平気な人になりたい
若いうちの「私はひとりが好き」は、まだ寂しさを知らないうちの、「ニセモノのおひとり様」だったと思います
おはようございます
些細なことで落ち込んでいますが、経験上、このくらいの落ち込みはだいたい1日で回復するはずです、たぶん
ピザポテトが販売再開の見通し、と聞いて「あー、新じゃがの収穫始まったからね」と思う家庭菜園農家
コンビニのおつりの500円が記念硬貨!(長野オリンピック)
あと子どもたちが掘った庭のジャガイモで作った肉じゃがすごく美味しくできた
好評だった やったぜ!!