今週は、グスタフ・クリムトです。今日の一枚は 『接吻』。
世紀末の不安、頽廃、陶酔をあらわしたかのごとき、
黄金色の絵。 ウィーン分離派、異才の傑作。
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美の巨人たちのことを語る
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来週は、グスタフ・クリムト 『接吻』 です。
ウィーン分離派の異才、世紀末 頽廃の美。
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婚宴の様子を描いていながら、いったいどの人物が
花婿として描かれたのかが いまだにはっきりしない、『農民の婚宴』。
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ブリューゲルは、やはり 『雪中の狩人』 が素晴しい。
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ブリューゲルの代表作のひとつである 『バベルの塔』 は、
イタリアに行った際に見た コロセウムをイメージして描いたという。
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ネーデルラントにて(現在のオランダ、ベルギーあたり)、
1551年、画家の親方として 聖ルカ組合に加入したブリューゲル。
それが、その生涯の ほとんどがわかっていないブリューゲルの、
初めて 歴史上に名前が登場した時だという。
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今週は、ピーテル・ブリューゲルです。
今日の一枚は、 『農民の婚宴』。
世界屈指の美術館のひとつ、ウィーン美術史美術館 所蔵。
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来週は、ピーテル・ブリューゲル 『農民の婚宴』 です。
モデュロール兄弟に続く名物キャラになれるか?! の、
絵画探偵が 案内。
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鯨の描かれた屏風と 象の描かれた屏風とに わかれている
この 『象と鯨図屏風』 だが、修復時の調査の結果、もともとは
一枚の大きな紙に 描かれたものなのではないか、と。
この屏風は、滋賀県の MIHO MUSEUM に展示されているという。
この屏風も含めた 若冲の展覧会が、MIHO MUSEUM で、
12月13日まで開催中 とのこと。
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伊藤若冲の存命中、日本に象が来たことがあるという。
長崎に着き、江戸へ連れて行かれる途中に、京都に立ち寄った という話。
京都に居た若冲は、その時、もしかしたら象を見たのではないか、と。
想像ではなく、見た上で、『象と鯨図屏風』 の象は 描かれたのではないか
ということだ。(象らしくない座り方のようには 見えても。)
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青物問屋桝屋の四代目として生まれた若冲は、23歳で
家督を継ぐも 商いに向かず、絵を志す。
庭で飼い始めた鶏を飽かず眺め、そのようにして観察した
対象の絵を描くことを、”神氣をつかむ” と言っていたという。
40歳で 家督を弟に譲ると、誰から注文を受けた訳でもなく、
ただ作品を残すためだけに、『動植綵絵』 を描いた。
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[今日は22:15から放送]
今週は、”奇想の絵師” 伊藤若冲です。
今日の一枚は、『象と鯨図屏風』(1795)。
昨年、北陸の旧家で見つかったという、墨一色の屏風絵。
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来週は、伊藤若冲 『象と鯨図屏風』 です。
昨年 新たに見つかった作品なのだとか。
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エルンストの作品に度々登場した ”鳥類の王 ロプロプ” は、
今日の1枚である 『ナイチンゲールに脅かされる二人の子供』 が
きっかけで生まれたという。
エルンストは、ロプロプと自身を ”同一視している”、つまり、
ロプロプは自分自身である、と。
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幼少時の姉の死、また、かわいがっていたインコの死。
インコが死んだことに気づいた次の瞬間、妹が生まれたと知らされ、
インコの命を奪ったのはその赤ん坊、あるいは生まれ変わり、・・・
そのように 死と生が 自身の中で親密にまじわり、原体験として
エルンストに 強烈に やきついたという。
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既存のものを解体して並べ替え、思いもよらないもの同士を
組み合わせることによって 新しいものを生み出した
エルンストのコラージュは、 まさにシュルレアリストのなせる業。
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いちばん好きなことは何?、と訊かれると、決まって 「見ること」 と
答えていたという、少年時代のエルンスト。
それも、木目などを見て様々なものを連想し、”幻覚” を見ること。
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今週はマックス・エルンストです。
今週の1枚は 『ナイチンゲールに脅かされる二人の子供』(1924)。
コラージュで ”イメージの錬金術師” と呼ばれたというエルンスト。
自ら生み出した 架空の鳥を愛でた シュルレアリスト。
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来週は 竹久夢二の 『青山河』 です。
今週、建築特集なのに モデュロール兄弟出てこんかったなぁ。。。
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東京都水道局の長沢浄水場というのも 山田守が手がけたそうだが、
すっきりとしつつも 単なる機能美だけに おわらない美しさ。