2歳のころ、脾臓というマイナーな臓器が
細菌に感染して わりと長期入院して
この子は無事育つだろうか、と家族を心配させたそうです
さすがに本人は覚えてない
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はてなハイカーたちの小さい頃の話が聞きたいなのことを語る
はてなハイカーたちの小さい頃の話が聞きたいなのことを語る
逆に男の子にしか見られなかったほうです w
ワタシとしては、それが望むところだったのですが・・・
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父 のほうにしょっちゅう書いてるけど
山男の娘に生まれたおかげで
大晦日は家族で、中央線と富士急を乗り継いで
三つ峠(山梨側の富士山を撮る写真家の間では有名なスポット)に登って
元旦の御来光を拝むのが小学生の間は恒例行事だった
その三つ峠の山小屋で飼ってた猟犬が「クマ」という名前で
犬種は忘れたけど 前足が1本しかなかったことは はっきり覚えてる
おとなしくて人懐っこくて とても熊狩りするような犬に見えなかったです
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私が悪い事をすると、母は「お前は通天閣の下から拾ってきた。」といい、子供の私を怖がらせていました。
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小学生の頃、「富士山に登ってみたいか?」と唐突に父親に聞かれて、「うん」と無邪気に答えたら、
そのあとすぐに本当に連れて行かれた。なんだか勢いで登頂に成功した。
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芸術家(油彩)だった父親の教育方針で、小学校では「絵の具セット」を使わせてもらえなかった。
空き缶を3つ針金で束ねた父手作り筆洗いと、どこのメーカーかよくわからない怪しい水彩絵の具。変な形のパレット。
そして筆は、父曰く「これ一本でなんでも描ける」という竹軸の面相筆一本のみ。
金色銀色の入った「ぺんてる」の絵の具や、プラスチックの筆洗い、大小の絵筆が揃っている友達が羨ましかった。
下書きも鉛筆禁止で、家にあったコンテを持参。さすがにパンで線を消せとは言われなかったけれど。
友達と違うのが嫌だった反面、ちょっとプロっぽくてカッチョいいとも思っていた。絵は下手だった。
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コーラは絶対飲んじゃダメと言われていた。
唯一自動販売機で買ってもらえたのは、いつも果汁入り無炭酸のHI-C。お母さん安心の超無難チョイス。
だから、遊園地や動物園なんかの行楽地で、コーラ片手に楽しそうにはしゃぐ子が羨ましくて仕方なかった。
HI-C如きでは味わうことの到底できないであろう、炭酸の弾ける刺激。果汁とはまた違う香りと琥珀色の液体。
まさにコーラは、自分にとって手の届かない大人のもの、もしくは「ワル」の飲み物だった。
その後、駄菓子屋で買ったコーラ飴を水に溶かして、ドンパッチを食べながら飲むという再現方法を開発した。
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おまるを車がわりにして遊んでいたら、糞尿もろとも2階から階段を転げ落ちて、頭を強く打って病院に連れていかれたそうな。
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私が子供の頃(今から30年前ぐらい)、通天閣の下にある銭湯の鏡に、刺青師の広告(「刺青入れます」みたいな宣伝)があったけど、あれは今でもあるのかなあ?
そういえば、昔はヤーさんで無い普通のおっちゃんも、背中や腕に刺青を入れていましたね。
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ジャングルジムの5段目くらいから降りようとして足を降ろした先に棒がなくて、 !あっ
て思って一瞬空いて、次の瞬間右耳を下にして地面にぐちゃってなってた
ところだけ鮮明に覚えてる
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「暮しの手帖」の熱心な読者だった小学生の頃。
特に、家電製品の商品テストの記事が大好きだった。
あくまで客観的かつ厳格な基準の性能比較、膨大な時間をかけた地道な耐久試験、
そしてそれらから得られた様々なデータに基づく的確な批評など、一切の商業色を排したガチのテスト。
家にあったバックナンバーを何十冊もあさって、鼻血が出そうなほど興奮して読んでた。
ナショナル・東芝などの大手電機メーカーの新製品を、「こんな馬鹿げた商品」だの「愚かな機能」だの、
バッサリと容赦なく扱き下ろすのも痛快。自分にとっては、どんなマンガよりも面白かった。
理解してくれる友達は一人もいなかった。
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近所に同じ年の子がいなかった為か、「お友達」のシステムを理解していなかった。
たいてい一人で遊んでいたらしい。
確かに…わかってなかった…。幼稚園でも決まった友達がいた記憶は後半しかないわ。
毎日迎えに来てくれた幼馴染みも「一人でゆっくり行きたい」との理由で嫌がっていたらしい。
けど、幼稚園を嫌だとも言わなかったので親は放置。
将来の夢も理解しておらず、なぜ将来について考える必要があるのかわからなかった。
「およめさん」と書く子が多かったので、なってどうするのか本気で疑問だった…。
とりあえず書かなくちゃいけない使命感から「キティちゃん」と適当に記入。
当時小学生の姉に「キティちゃんは猫だからなれないぞ。」
ともっともなツッコミを受け「お菓子屋さん」に変更。
そんな姉の、幼稚園の頃の将来の夢は「射的屋さん」
ねーちゃん渋すぎるww
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牧場の娘だったので、麦藁帽子に犬
(実家で飼っていたのはコリー犬、牛を追うのがうまかった)を連れ
放牧されている牛が草を食べながら移動するのについていくという
家の手伝いもしていました。
夏になると裏山の小屋に父と泊りに行って
カエルや虫の鳴き声を聞きながら、父がアラビアンナイトや桃太郎の
お話しをしてくれました。お父さん大好きっ子でした。
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たぶん幼稚園の頃。
夜布団に入ってから懐中電灯の明かりのボリュームを色々変えて
照らされた天井の映像をみながらトリップしていたなー。
寝つくときには家族と知り合いの幸せを祈るのですが
八百万の神が気にかかり「神様(←たぶんキリストをイメージしていた)仏様…あっ、あと知らない神様…あっあと神様とは呼ばれていないけれど神様みたいな人…あっそれから」と自分の中のアリ地獄にはまってた。
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実は福岡生まれ
博多弁しゃべってた、2歳くらいまで
その後は微妙は標準語です
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幼稚園から小学校低学年にかけてサンタクロースにお願いしたもの(順不同)
方眼紙と五線紙、三角定規と分度器、コンパス、ホチキス、烏口、ルーペなど
ずっと文具だいすきです。
ちなみにホチキスで最初にはさんだのは自分の指でした。ぎゃあ。
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もちろん、小さい頃からそそっかしい子でした ><。
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隣に住んでいた6才年上の従姉は生後9か月ですたすた歩き出した強者、
わたくしはべちゃくちゃ喋るのは早かったけど1歳2か月になってようやくよたよた歩いたレベル。
水泳・自転車(両手放し等を含む)・鉄棒・旅行先でこっそりホテルの非常階段を降りる・橋の欄干の外側を歩く・大晦日の夜中におせち料理を襲撃するなどはすべて運動神経抜群でヤンキー気質の従姉の指導と強制のもとに叩き込まれた。
一方あやとり・折り紙・お手玉・おはじき・トランプ・かるたなどは父が教えてくれた。
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漢字の家庭学習で、ノートにびっしり麻雀の役の名前を書いて出したことがある。
門前清自摸和 飜牌 平和 断么九 三色同順 一気通貫 ・・とりあえず一飜役から役満まで全て網羅した。
なぜか先生に褒められた。単に麻雀をよく知らなかったのか、平和という単語があったからかどっちか。