<今日の反省と感想>
・面倒でもアルバムから全部出す必要があるというのはこれまでの経緯でわかった
・衣類→本→雑貨・小物→思い出品の段階を経てときめきセンサーを強化し、判断力・決断力いなかったら地獄だったと思う。写真の選択やっぱり最後がいい
・台紙に貼ってフィルムで覆うタイプのアルバムは保存状態の点でも重さや大きさの点でも処分するときの手間の点でもかなり問題がある。今後極力使わないようにしたい
・写真屋さんでくれる簡易アルバムは軽くてコンパクトで量も適当で実はかなり理想的
・自分の人生を通しで一気に眺めて見ると客観的に自分のことを見つ…[全文を見る]
本を読んでこんまり思想に直に触れていないもちおは、はてこの卒園証書やら空になったブリーフバッグやらを定石通り不要品を個人収蔵しはじめている。
選別はやり終えなかったけど、剥がすまでは全部やった。
写真関係で出た今日のゴミ。これとは別に明日のゴミ回収に不燃ゴミを計5袋出してきた。
整理も整頓もそうじも得意な方だと思っていた。でも、
整理→整頓→そうじ
↑
ここに「心からの取捨選択」が不可欠だということが今回わかった。
きっちり片をつけてないことがたくさんあって、それが人生を窮屈にしていた。
ちなみにもちおは実家からただの一枚も写真を持ってこなかった。
結婚当初は信じられないと思ったけれど、こうなってみるとそれでよかったと思う。
ありがとう。
途中経過。手前の机の上にあるのがときめかず山。
炬燵の上にふせた白い紙の山はこれからときめきチェックをするもの。
六合目まで来たかなあ。
いつのまにか選択基準が「ときめかないものは捨てる」になっていて、「こことここにときめくから取っておく」とどんどん合理化されて取っておくモノが多くなっていた。
違う違う、ときめくもの、手にとって一目見てときめくものをとっておくのよ。
四次元ポケットに入ってたのかっていうくらい、出すと量がある。
もしかしてこのタイプのアルバムもフィルム全部剥がして分別か。
捗っているように思えないけどゴミが増えているということは進展しているのか。
やっと未整理の写真と家族の写真を一通り選別し終えた。ほんとさっぱりすすまない。これからようやく家を出てからの自分の写真。ときめきはあるのか。
フィルムと写真と台紙を分別中。
フィルムの間に貼るタイプのアルバムは整理しなおすのも捨てるのもたいへんだ。ポケット形式の方が写真も傷まなくてずっといい。
台紙に挟んだり貼ったりするタイプの写真を剥がすのがたいへん。
未整理で袋に突っ込んでおいた写真の山を見つけてイェーイと思った。
缶瓶出してきます。
空き瓶大好きな魚柄仁之介にもさよならしてきます。
明日は終にラスボス、写真と人形群。
ここまで読んでくださった方は想像に難くないと思うけれど、写真も大量に持っている。
昔はネガまで全部撮っておいたからそれはもう大変なことに。
デジカメ時代が到来しなかったらどうなっていたことか。
手放す予定だけど行き先が決まっていないものもある。フィルム一眼のカメラとか。
行き先が決まらなかったら処分しようと思う。
左から残す山、絵はがき便箋代わりにさて手放す山、。紙に戻す山。あっさり終わった。何この判断力と決断力。ほんとにだいぶ鍛えられてきたな。
フォルダーから出して絵を手にとって眺めてみたら絵を描く楽しさがよみがえってきた。
「仕舞ってあるものは気配を消している。必ず取り出して手にとって」
を痛感する。フォルダー越しに眺めているのと全然違う。絵が描きたいと思った。
一ヶ所に集めて床に広げる。
果たしてこれを選別したり出来るのだろうか。
片付けしながら局所的大掃除もしている。もちおは画像を見てフィルターの埃をフェルトだと思ったのだそう。
今日はこの他のダウンジャケットを初手洗いした。いつかやらなくちゃと思っていることに手をつけるハードルがぐんぐん下がっている。
でも実は今日は昨日からずっと、昔描いた絵の選別をしようと思いながらこんな時間になってしまったのであった。
モノを買ったら処分の過程にはなるだけ立ち会った方がいいと思った。まさにテロ。
こんな思いをするくらいなら二度とスプレー缶なんて買わない。
面倒でも中身が入ったまま捨てたら引火して爆発するかもしれないからガスを抜かないわけにいかないし、これだけ苦労してもキャップ部分が外れないから缶で出せなくて再生されないしさ。
「これなあに?」「トイレのシューッ!よ」
と気楽に言っていた彼女も、まさかこんな最悪なプレゼントをしたとは思っていないだろう。ていうかたぶん自分で使って匂いが気に入らないからくれたんだろうな。
その場で断るのが正解だった。
たくさんの教訓をありがとう、スプレーさん。さようなら。もう二度とお目にかかりません。