テレビでね、昨日県内で行われた商店街活性化のための100円商店街を紹介していて、100円のいちごのあんみつを出した甘味処の店頭のベンチで、四人のおばあさんたちがおしゃべりしながら食べているところを、女子会していますと紹介していた。
食べながらきゃっきゃと話すところはまさに女子会で、その隣には女子高生に小学生も。
いいなあ。平和な光景だなあ。
おばあさんたちが笑顔で甘味を食べているの見ていたら、それでふと思い出したんだけど、私が小学生の時、農協祭ってたぶん稲刈りが終わった時期くらいの農協のイベントに行ったの。
おばあちゃんと私と妹。まだ…[全文を見る]
先日、木曽で買い物した店の店員さん。
若いお嬢さんなんだけど、あれ?このひと知ってる気がする。えーとどこで会ったっけ…?
しばらく考えていて気づいた。
会ったことなんてないよ。
似てるだけだよ。秋篠宮佳子さんに。
本当によく似ていたの。
一緒にいた友達にそっと伝える。
「ホントだ!」
急に会うととっさには出てこないものですね。
頭が、自分の会ったことのあるひとのリストから探してしまうものとわかった出来事。
昨日、ビアガーデンへ行くためにエレベーター待ちをしていたところ、そこにいた両親に連れられた五歳くらいの男の子が持っていたぬいぐるみがなんか目に引っかかって、二度見。
うわーっ! まそたんだ!まそたんのぬいぐるみだ!
しげしげと見ていたら、お母さんが私を見て、「好きですか?」みたいに笑った。
長野県では放送されなかったから、両親のどちらかが好きで見ていたのかなあ。
まそたんのぬいぐるみ、私も欲しいなあ。
木刀って、修学旅行男子のイメージ。
実際、私のいた学校のいくつか上の学年の修旅行で、お約束のように木刀を買ってハイになったであろう男子が、夜の京都タワーでよその生徒と小競合いになり双方木刀振り回す騒ぎ。
すぐに教員に取り押さえられたものの、何年かは京都タワー出禁になったそう。
修学旅行前の説明会で、木刀購入禁止も言い渡されておりましたよ。
中学の音楽で思い出したのは、入学してすぐの小テストで「花」(春のうららの隅田川~のあれ)の意味を書けってのがあって、
「春の盛りの隅田川にいきかう船 船頭が操る棹の滴が、また花のようである この美しさは例えようもない」
って書いて出したら、音楽の女教師から呼ばれて、意味を知っていたの?と。
知ってるもなにも、歌詞の文句がそのまんまじゃんと思ったけど、当時の私はそれがうまく言葉にできなかった。
遡って、小学生の時
中庭の見える教室だったから、たぶん三年生。
担任の女教師に、放課後に先生が作業をしている脇でこの本を読みなさいと一冊を渡…[全文を見る]
ムソルグスキーといえば思い出すのが、当時はまだムソルグスキーなんか知らなかった、中三の音楽の授業。
展覧会の絵の中の「ビドロ」を聴かされてイメージするものを書けって。
私の書いたのは、「嵐の夜に戦場に赴く男たち、泣く女」てな内容だったのだけど、タイトルが「牛車」って聞いてなんかずいぶんタイトルと曲の雰囲気が違うなと思った。
先生は回答を褒めてくれたけど。
長じて、何かで「ビドロ」には生きる苦悩ってような意味合いがあることを知りようやく腑に落ちた。
うん、そんな曲だ。
先週聴いた新日本フィルの中の曲に、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の一節があって、CDを持っていたはずなのに長らく行方不明で、ああやっぱり全部聞きたい!と新しいのを買おうと思いながら、車でまとめてCDを入れているケースを見たらあるわけよ・・・。
今まで一回や二回ではなくケースの中はあらためたのに。
何回探しても見つからなかったのに、何故ある?
いや、まああったことは嬉しいし聞き入っているんですけど。
少しだけ、納得がいかない。
母は一時期ホテルの厨房で働いていたことがあって、家で食事を作るのも嫌いなのに何でだ?と思っていた。
ふと、魔がさしてそこのレストランに食べに行ってみようかなと思いつき、父にそう言ったところ、
「お母さんの作ったものに金を払うな」
なんか、すごく納得して食べには行かなかった。
四十九日の日、ばたばたと準備をしてお坊さんを迎え、お経が始まってふと気づいた。
(身内なんで一番前に居るからね)
お坊さんの座るとこに座布団置いたの誰だーーー!!
なんでそこのにそんな普通の座布団があって、こっちに分厚い座布団があるんだーーーー!!!
親戚が多いから八畳二間をつなげて、叔母の家から借りてきた客用座布団まで敷き詰めてあったんだけど、なんでよりによってそこにそれが。
父の怒る声が脳裏に甦り、もう気が気ではなかったわ。
お新盆の時はしっかりチェックしました。
私の通っていた小学校は、敬老の日が運動会だった。
徒競走は背の順に6人ずつ。
保育園からずっと、背の順に並ぶと一番後ろ以外になったことのなかった私は、いつも最終グループ。
練習ではいつも三位か四位だった。今でもそうだけど、歩くことは好きでも走ることは苦手。
前日の練習で、背の順で私の前に並ぶ同級生が言った。
「私、三位以内でないとお父さんに怒られちゃうから、三位までに入らないで」
なんだそれと思いながら、なんと言ったか記憶にないけど、曖昧に返事をした気がする。
当日、私は二位で青いリボンをつけてもらった。確か、一位が赤で二位が青、三位…[全文を見る]
卒業式→学校・・・と、ふと思い出した。
私の卒業した小学校の、何年か前の校長先生は、家で朝ご飯が食べられない子供のために、ポケットマネーでカップ麺を買って校長室に常備し、食べさせていたんだって。
あの先生は立派だと、父が民生委員をしていた時に、なぜか自慢そうに話してくれた。
室生犀星の詩
きのふ いらしつてください。
きのふの今ごろいらしつてください。
そして昨日(きのふ)の顔にお逢ひください。
わたくしは何時(いつ)も昨日の中にゐますから。
きのふのいまごろなら、あなたは何でもお出来になつた筈(はず)です。
けれども行停(ゆきどま)りになつたけふも
あすもあさつても
あなたにはもう何も用意してはございません。
どうぞ、きのふに逆戻りしてください。
きのふいらしつてください。
昨日へのみちはご存じの筈です、
昨日の中でどうどう廻りなさいませ。
その突き当りに立つてゐらつしやい。
突き当りが開くまで立つてゐてください。
威張れるものなら威張つて立つてください。
【昨日いらしつて下さい】
学生時代に、ひとりでや友達と、ふと車を走らせては新潟の海へ行っていた。
夜に出掛けて、海岸脇の駐車場に車を停め、中で寝て夜明けを待って帰ってくる・・・なんてことを何度もしていたけれど、今思うに、あれ危険だったわね。
ちょっと時間的にズレはあるけれど。
当然学校の成績はよくなかった。
国語も悪くなかったけど、上位にはなれないレベル。
だがしかし、模試で全国一桁レベル。校内一番になったことがある。
いつも数学英語国語の三教科しか受けてなかったけど、数学は受験者数と並ぶレベル、英語は中程、国語だけはダントツ。
だけど、校内のテストでは上位には入れない。
要するに学校の勉強って物が大嫌いで、全く興味が持てなかったのよね。
だから範囲のない模試だと高得点。
担任に進路指導室に呼ばれて、これだけ国語で点が取れるんだから理解力があるはずなんだ、数学ももう少し頑張れと言われたけど、やっぱり数学の点が上がることはなかった。
でも、先生。私今何とか社会人やれてます。
腑に落ちないっていえば当時ハイクにも書いたけど、一昨年のゴールデンウイークに新潟へ行った時、柏崎刈羽原子力発電所のPR館に寄ったのよね。
そしたら当日は原発施設の中へバスツアーを行っています、いかがですか?って。
津波の安全対策が完了したので、それを見学するツアー。
申込書を書いて身分証を出してIDもらったら、まずはPR館の中で30分ほどの映画で、簡単な原発の仕組みや福島第一の被害に至った経緯などを見せられる。
あぁ、この間に身元照会かけられてるなと思いながら。
映画を見ていたのは二十人くらい。実際に柏崎刈羽原子力発電所と名の入ったバスが…[全文を見る]
中学生の時にかっこいいおねいさんと知り合ったのですよ。
子供の時からクイーンが好きで、洋楽が好きで、お洒落が好きで、本が好きで、マンガが好きで、独特のこだわりに溢れて。
七歳くらい年上だった彼女は、私にはそれはそれはカッコいい大人で、その後の私に影響を与えたのだった。
スティクスを教えてくれたのも彼女で、彼女の行った来日公演の様子をNHKでやるから見るようにと言われて、テレビの前に鎮座し、Boat On The Riverを聴いて衝撃を受けた。
カミュを教えてくれたのも彼女で、今も私の本棚に新潮の銀の背表紙が美しい。
私の友人は三姉妹の長女。
胸がとても豊か。
すぐ下の妹は、彼女以上に豊かで、なかなか日本製に合うサイズがないのが悩みであった。
そして、そんな姉たちを見ていた歳の離れた末妹(当時高校生)。
ある日、嬉々として姉たちに報告。
「私ね、やっとDカップになったー!」
その話を私と一緒に聞いていた、控えめサイズの友達がひとこと。
「あんたのとこは基準が違う!!」
ソフトバンクの光市のCMが懐かしい。
初めての訪問は高校生の時で、友達を訪ねて行ったんだよね。
三月のはじめ。
泊まったのは、彼女の勤務先のからみの駅前の旅館。
駅のロータリーの脇にあって、駅がよく見えた。
日本建築で、食堂は洋風のダイニング、結婚式もあったんだろうなって感じ。
木の塀に囲まれてて、庭には松の木がにたくさんあった。
ストリートビューで見ると、今ではチェーンのホテルになってしまっているけれど。
CMに出てくる駅舎壁の虹の塗装は、虹が浜から来ていたはず。
昔と同じままで変わっていなくて、とてもとても懐かしい。
泊まった部屋は駅のロータリーに面していて、夜中に長い貨物列車が通っていくのが聞こえた。
その列車に紛れて、ホームに中島みゆきのアルバムが途切れ途切れに聞こえていた。
【臨月】
真夜中だったのに、大きな音ではなかったけど、どこでかけていたんだろう。
窓を開けてずっと聞いていた。
私が免許を取る前だから、ずいぶん前のことになるのだけど、松本の駅前大通りの小さなホテルの一階に、ジャルダンって喫茶店があった。
コーヒーもあったけど、紅茶専門店で、当時はまだ珍しいたくさんの茶葉が置いてあってポットサービス。
私は、スパイスをたくさん使って鍋で煮込んでくれるチャイが好きだった。
店内の食器棚にはきれいなカップがたくさん飾られ、いつもクラシックが流れていた。
それはそれはもう、昭和の正しい喫茶店。
免許をとって、あまり歩いてふらふらする事がなくなり(今じゃ大好きだけど)、大学を卒業して長野を離れている間に、いつの間に…[全文を見る]