ズッキーニとトマトでなにかこしらえるとき頭のなかでなんとなく「 ズットマだょ…!」とつぶやいている。
そういや「トマトでなにかこしらえる」も引用だ。
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ズッキーニとトマトでなにかこしらえるとき頭のなかでなんとなく「 ズットマだょ…!」とつぶやいている。
そういや「トマトでなにかこしらえる」も引用だ。
葉っぱはどうみてもシソであるという結論に達した。
いつもより若干ハードルが高いが今回も酸っぱいものは作らずに楽しみきる所存である。
新潟の板前さんからまた野菜が来た。
野育ちの板前さんはなんの説明書きもくれないのでまず画像検索して野菜の正体を探るところからはじめなければならない。
茄子はわかる。素揚げにしてパスタにのせよう。
トマトもわかる。残暑にガスパチョ。
この夏2度めの夕顔は学習したのでもう大丈夫。
初めての金糸瓜(そうめん南瓜)、酢の物はもちろん作らない。東南アジアっぽいスープにしよう。
根本が白くほんのり膨らんだ葱状のもの、らっきょうだろうか。どうしよう。匂いに打ち克つ方法を考える。
あとひとつ今のところ名前の分からない葉っぱがある。シソみたいに強い香りがするんだけどなんだろう。
自己流で料理だのお菓子だの作っていくのに一番役に立ったのは読み倒してきたたくさんの物語、次に役に立ったのは小学生の頃父と一緒に遊びながらやった理科の実験ごっこ。
授業そのものとも先生とも相性悪すぎてふてくされながらいやいややっていた家庭科は確実にわたくしを素通りしていった。
物語の中の料理する場面がひょいひょい頭をよぎってたすけてくれるしそもそもなにをどんなふうに食べたいかを妄想するのにもよい。
理科はものは熱したらどうなるのかとかふたつのものをうまく混ぜるにはどうするのかとかそういうことを教えてくれる。
そんなわけでわたくしとっては料理=文学+理科(初級)じゃないかとふと思った。
いつかは肉の塊を縛るのにハンス・ベルメールの技に達してみたいことよ(詠嘆調)
今年最初の空豆が初夏の色だ
人類が抽象思考を始めたのは
つきっきりでスープの灰汁取りをしている時だったんじゃないだろうか
肉の塊をタコ糸で縛るのがうまくできない。
なんか別のカテゴリーの修行を積んだほうがいいのかも知れない。
たとえばハンス・ベルメール的な。
甘いものと辛いものと酸っぱいものと味噌と煮物が嫌いな頑固ジジイに
変化のある健康的な食事(さらに冷凍庫で一定期間保存可能)を提供し続けるというのは
なかなか高度な課題だと思うのだよ
やってたら面白くなってきちゃったけどね
おからと豆乳のポタージュを作りながら
これって大豆でよかったんじゃないかと、ふと。
無心に灰汁とりしてるとなにかこう縄文人の気持ちになる。
おぉーできた。できた。
いいや、これも入れちゃえ。
あれっ?まだ、あると思ったのにー。
あっ!
まぁいいか・・・・・
頑張ってハレの料理を作った後の残りで美味しいケの料理ができる。
料理のこの、自由で合理的なところがすごく楽しい。
包丁久しぶりに研いだら快適快適。
アタシって研ぐのうま~い。
アタシを怒らせないほうがイイワヨ~
…誰も聞いちゃいねえ…
げっ!おでんの具が多すぎて、フタが持ち上がってきた!!