ヘイトスピーチについての禁止をあくまで表現の自由の観点から慎重にすべきだと言う人が、ヘイトスピーチの内容に賛同しない人の中にもいるが、こういった議論は「表現の自由」といった語がしばしば 呪文のように用いられることを考えるとやはり筋が悪いのではないかと思う。
おそらくは具体的に公権力への批判がヘイトスピーチ規制の名の元に規制され得る状況を例示しながらのよりテクニカルな議論でなければ意味が無いと言うか、ほとんど呪術的な危惧の段階の認識しかないもので具体的な被害の防止策を阻止しようと言うものになってしまうのではないだろうか。
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表現の自由/ヘイトスピーチの自由などないのことを語る
表現の自由のことを語る
「国民統合の象徴」を燃やすこと
今から三十年前、1989年の6月21日に、アメリカ連邦最高裁判所で、星条旗焼き棄て事件に関する「テキサス州対ジョンソン」訴訟の判決があり、州法による刑事罰の適用は、憲法修正一条(言論などの自由権)に違反すると判断された(5対4)。
最高裁の多数意見は次のようだった(参考:Flag-burning Overview | Freedom Forum Institute)。
「州法は、社会通念として見解自体が不快または受け入れがたいとされているだけでは、その見解の表現を政府は禁止できないという、修正一条の根底にある基礎理念に違反した」
「政…[全文を見る]
表現の自由のことを語る
この絵好きだー
まあロックウェルが好きなんだけど
表現の自由のことを語る
自分の表現の自由を脅かされたくない
だから他の人の表現の自由も妨げない
というだけ