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青函連絡船のことを語る
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ネタ画像は、元キーワードに上げるとして。
その元船・2代目十和田丸の、思い出の品。豪華船・ジャパニーズドリーム号は、フラッグシップだった十和田丸にふさわしい余生でしたが、いかんせん就航時期が悪すぎましたね……バブル崩壊と重なったもんなぁ。
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7年前の長崎原爆忌、ぼくは(当時はまだホテルとして営業していた)2代目大雪丸を見学させてもらっていました。見学中、汽笛を鳴らす大雪丸。支配人に「もしかして……さっきの汽笛は、例の……」と聞くと、「お察しの通りです。」と。
その後、大雪丸は、親社のドック業者の倒産で、普通のホテルチェーンに移籍。しかし、船のメンテは素人には無理な話で、あえなく廃業。今年の原爆忌は、どう過ごしたんだろう……。
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簡易フィルムスキャナからサルベージ。
引退間際の大雪丸船内にて。張り紙がこの調子なので、シャワーの雰囲気も推して知るべし。民営化前にもこの張り紙を見たけれど、その時は、余り見かけないタイプのJNRロゴが書かれていた記憶があります。
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1988年1月、定期航路廃止2か月前の函館。
沖合で待機していた檜山丸(2代目)が、桟橋に近づいてくる様子。右沖合にいる小さい緑の船は、廃止前に検査切れで引退した大雪丸(2代目)。
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檜山丸がもう少し遠い状態のを。こっちの方が、待機中・係留中の僚船がよくわかると思います。左が石狩丸(3代目)。右が大雪丸(2代目)。
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函館旅客桟橋の乗船口。
記念船・摩周丸の入館口は、この乗船口の遺構をそのまま利用していました。写真は、まだ函館市立施設になる前のもの。
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2001年夏・函館港巴大橋から見た、記念船・摩周丸と函館山。
今でも、函館の夜景の映像や写真を見ると、摩周丸の光を探してしまいます。
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懐かしくて感動しています。
二枚目の写真の桟敷席にダッシュしてました。
今から考えると20歳前後の女子大生がこんなところで
一人雑魚寝しながら帰省していた、古き良き時代だったと思います。
24時間かけて帰省するときに
上野から寝台特急に別料金で乗らない限り、
身体を横にできるのは青函連絡船のこの席だけでした。
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今では、高速バスの女性専用車両や、カプセルホテルの女性専用フロアなど、仕組みとしての女性の安全で廉価な一人旅はかないましたが、昔はその不便さを周囲の目がカバーしていたんですよね。
ぼく自身は、グリーン指定椅子席までは使ったことがありますが、寝台室はさすがに手が届きませんでした。現在見学できる記念船は3隻ありますが、ぼくが訪ねた時点では、八甲田丸(青森)にはグリーン船室と寝台室が、摩周丸(函館)には普通船室が保存されていました。(→当時の八甲田丸見学記録)
あさゆりさんが一番訪ねやすいであろう、羊蹄丸(東京お台場・船の科学館別館)は、中身がほぼ完全に改装されているのが残念ですが、外装の復元はほぼ完璧です。ゆりかもめの車窓からもよく見えますから、眺めるだけでも懐かしいかも知れませんよ。
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そういえば、湧網線ってどこをどう通っていたっけ……というのを思い出すため、手許の復刻版・弘済出版社の大時刻表(今のJR時刻表の前身)1964年10月号を開いてみたら、寝台の立体図と配置図が載っていました。そこには、青函連絡船の寝台室も。
初代羊蹄丸・摩周丸・大雪丸=あの洞爺丸の同型船、初代十和田丸=洞爺丸の代替建造船、それにデビューしたての津軽丸。
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