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Tips:横着して自分に楽な書き方をすると、第三者には「何について」言っているのか分かりにくい文章になるよ。
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青函連絡船のことを語る

函館、摩周丸の甲板から見える函館の街と海。


摩周丸、予想以上に楽しい見学でした。

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無線通信室。


和文モールス符号音読表。こうやって覚えるんだ〜。

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操舵室。やはり気持ちが高まります。

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摩周丸が函館市青函連絡船記念館として公開されているので行ってきました。なぜか、全体像の写真はないのですが、中が大変楽しかったです。まずは客席。

客席に付いている栓抜き。栓抜きって昔、どこにでもあったよね。

客席に付いている読書灯。

そして寝台と「ボーイが代々折り続けてきた」という飾り毛布。
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船の科学館に見捨てられることになった、羊蹄丸。その最期が決まったことを知った。同館のリリースを要約すると……。

・最終的には、愛媛新居浜で解体される。
・解体目的は、今後施工される、大型船舶国内解体義務化の国際条約に備えたデータ取得。
・解体前に、新居浜で最後のお披露目がある。
・選に漏れた応募も、国内外で10件あった。

羊蹄丸の僚船も、何隻かは海外(恐らく北朝鮮)でスクラップ化されてきたという。青函トンネル計画の難航をフォローする、という、ある意味国策で生まれた船が、国策を高めるために死んでいくのであれば、それはそれで本望なのかも知…[全文を見る]

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船の科学館のリニューアル閉館にあたり、羊蹄丸の保存が打ち切られることを知った。近代型カーフェリーの手本になった船ではあるけれど、それだけでは生かしてもらえなかったということ。機械遺産からも外されたし、やはり鉄道あっての船だったのだなあ。悔しい。
譲渡先、といっても、地元は摩周丸と八甲田丸で手一杯なのであり得ない。
引き取り手がなくても、解体までは面倒を見てもらえる。3年前、それさえしてもらえずに、長崎で放置されている大雪丸を見た時の悲しみが再現されずに済むのは、不幸中の幸いかも知れない。

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青森で保存中の八甲田丸、函館で保存中の摩周丸が、桟橋の可動鉄道橋とセットで、日本機械学会の機械遺産に認定された、とのこと。
東京・船の科学館の羊蹄丸、長崎で廃ホテルとして放置された大雪丸は、可動鉄道橋がないため対象外。
シビアな選択だけど、ニュースで振り返ってもらえるのは、素晴らしいこと。

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ジャパニーズドリーム号(十和田丸)の新聞記事切り抜きが出てきました。

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簡易フィルムスキャナでのネガスキャンなので、画質はかなり悪いですが……。
大雪丸の旅客窓口、売店、食堂看板。


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そういえば、湧網線ってどこをどう通っていたっけ……というのを思い出すため、手許の復刻版・弘済出版社の大時刻表(今のJR時刻表の前身)1964年10月号を開いてみたら、寝台の立体図と配置図が載っていました。そこには、青函連絡船の寝台室も。
初代羊蹄丸・摩周丸・大雪丸=あの洞爺丸の同型船、初代十和田丸=洞爺丸の代替建造船、それにデビューしたての津軽丸。

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今では、高速バスの女性専用車両や、カプセルホテルの女性専用フロアなど、仕組みとしての女性の安全で廉価な一人旅はかないましたが、昔はその不便さを周囲の目がカバーしていたんですよね。
ぼく自身は、グリーン指定椅子席までは使ったことがありますが、寝台室はさすがに手が届きませんでした。現在見学できる記念船は3隻ありますが、ぼくが訪ねた時点では、八甲田丸(青森)にはグリーン船室と寝台室が、摩周丸(函館)には普通船室が保存されていました。(→当時の八甲田丸見学記録
あさゆりさんが一番訪ねやすいであろう、羊蹄丸(東京お台場・船の科学館別館)は、中身がほぼ完全に改装されているのが残念ですが、外装の復元はほぼ完璧です。ゆりかもめの車窓からもよく見えますから、眺めるだけでも懐かしいかも知れませんよ。

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懐かしくて感動しています。
二枚目の写真の桟敷席にダッシュしてました。
今から考えると20歳前後の女子大生がこんなところで
一人雑魚寝しながら帰省していた、古き良き時代だったと思います。
24時間かけて帰省するときに
上野から寝台特急に別料金で乗らない限り、
身体を横にできるのは青函連絡船のこの席だけでした。

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津軽丸形の普通船室。
椅子席

桟敷席

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2001年夏・函館港巴大橋から見た、記念船・摩周丸と函館山。
今でも、函館の夜景の映像や写真を見ると、摩周丸の光を探してしまいます。

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函館旅客桟橋の乗船口。


記念船・摩周丸の入館口は、この乗船口の遺構をそのまま利用していました。写真は、まだ函館市立施設になる前のもの。

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檜山丸がもう少し遠い状態のを。こっちの方が、待機中・係留中の僚船がよくわかると思います。左が石狩丸(3代目)。右が大雪丸(2代目)。

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1988年1月、定期航路廃止2か月前の函館。
沖合で待機していた檜山丸(2代目)が、桟橋に近づいてくる様子。右沖合にいる小さい緑の船は、廃止前に検査切れで引退した大雪丸(2代目)。

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簡易フィルムスキャナからサルベージ。
引退間際の大雪丸船内にて。張り紙がこの調子なので、シャワーの雰囲気も推して知るべし。民営化前にもこの張り紙を見たけれど、その時は、余り見かけないタイプのJNRロゴが書かれていた記憶があります。